今回、このテーマがよかったなぁ、と思ったのは「オットと受験について、話し合う機会がもてた」こと。コレに尽きます。
今週、関連するテーマで数回オットと話をしたのですが、オットの結論としては
「(今はどうかわからないけど)娘たちが中学入学する頃に、まだ男子は丸刈り!なんて事言ってたら、中学受験も考えるかも」
ということでした。どうも公立中学時代の丸刈りが相当イヤだったようです(笑)。
「お受験」というと「目指すはいい大学へ!」という刷り込みがある状況なのですが、私たち夫婦の場合、自ら学歴志向からはどんどん離れていく人生を歩んできているので、こどもたちはどうなるのかなー?と、人ごとのように感じてしまう自分がいます(笑)。
我が家は地方在住の兼業農家です。
といっても、作っている作物は自家用のみ。そこまで本腰入った農家でもなく。
夫婦ともに、それぞれ開業している個人事業主として、仕事をしている環境で、こどもは現在3歳と5歳。
現在農業を担っているのは同居している義両親で、私は現在全く戦力になっていない状況で自分の仕事のみに取り組む事ができる環境です。
まず、地域特性として、受験するにも「受験する学校そのものが少ない」という背景があります。選択肢がないので、悩まなくていい、という事は言えるかな?私立の小学校自体が、ないので小学校受験はまずあり得ない。となると、中学受験をさせるかどうか…?
まだまだ先のこと、という感覚でしたが、考える機会を持つというのが、よかったなぁ、と。
そして、私は、タイトル通りですが
「私はコレがしたい」と選んで主張できる力を
と、願っていますが、それが受験とどうつながるかは、今はまだ未知数!という状況。
基本的には「こどもの持つ可能性を親がつぶす事になるのはイヤだなぁ」と、思うんですね。
でも、多少障害があったとしても、それを乗り越えられないなら、所詮その程度というか…。向いてなかったんじゃないの?と思ってしまうので、過剰にいろいろと親が用意するのも、ちょっと違うでしょー。と、思う私なのです。
(しかし、この「どこから過剰で、どこまでが適切なのよ」が、ひじょーーに難しい!のでちょっと極論かもしれませんが)
私は母がお針子をしていた時期があり、技術を持つって素晴らしい事だなー!と思って育ってきたので(詳しくは、みんなが洋服を手作りしていた時代 参照)、具体的にどういう職業、というのはないですが、得意な事を活かして生きていってくれたら、それだけでもう十分。
たくましく生きて欲しい!
「私はコレがしたい」と選んで主張できる力を持って欲しい
そして、手に職を持つ人になって、がんばってくれ!
そう願うばかりです。
今回、オットと話していて出てきた事は
「自分が生きていく上で、いつ何をして何が役だって、それがどう仕事に役だったのか。
自分に足りないもの、これができてたらもっとよかったかな?
そんな事を、親がまず整理できていないと、こどもの話にたどりつけないよね」
「お受験したとして、それで得た環境がその子にとってプラスなのかマイナスなのか、30歳ぐらいにならないと結果はでない。
本人だけでなく、社会も変わる。10年、20年先の事まではわからない。
悩んだり、考える事はいいけれど、子どもの未来は、親の意志だけでどうにかできるわけがない。本人が受験したいと言うなら、サポートはするけれど。」
というようなことでした。
自分は、小さい頃どうだったのか、進学の時にどういう選択をしてきたのか、はじめて話題にした事もでてきて、こどもの教育うんぬんは置いておいて「こ、こいつ、こんな子どもやったんか…(爆笑)」的なネタがお互いに飛び出し、非常におもしろかったです(笑)。(ちなみにオットは同学年です。)
■じゃあ、自分たちはどうだったの?
さて、ここからは、自分のためのメモのようなもの。
書いていたら異常に長くなってしまったので、お時間のある方だけどうぞ(^_^;)
◎オットの場合
オットは、丸刈りがイヤだったという中学まで公立で、高校が私学の特別進学コース。
その後がちょっと特殊で「あえて、専門学校」という進路をとって、先生たちから非難された過去を持つオトコ(笑)。
ここらへんは、「あまり書くな」と言われたので詳細は書きません。
オットいわく「高校の時の人脈(同級生は日本中にちらばって、いろんな職業についている)は、いろんな世代・地域の人と仕事をするオレには、かなり役立ってるけど、地元のみで仕事しているヤツには、メリットでもないのかも。活かすかどうかは、やっぱりそいつ次第やと思う」と。
◎わたしの場合
高校まで公立で、大学だけ、自宅から通える距離の芸術系4年生大学へ。
高校は公立でしたが大阪はかなりレベルが細分化されていていわゆる「進学校」に属する高校に通ってました。騒ぎを起こす子も少なく、かといって地区内のトップ高でもないので大学受験へのピリピリムードも薄く、ひじょーに居心地のよい高校でした。
一般の大学に行く選択肢は2年生ぐらいで捨てて、美術・芸術系を目指した私は、3年生の自由選択科目で「音楽・美術・家庭科」を同時選択。「ホンマ、『勉強』する気ないな、この選び方……」と、国公立や私学難関校受験系クラスに行った友達から、かなり言われたモノでした……。
3年生の夏は、デッサンの夏期講習に通ってました。デッサン力のなさにデザイン系は早々と退散。(そもそも、競争率が高いデザイン系が第2志望というのが、なめすぎ)
第一志望だった「メディア系」のみに絞る。推薦入試は「小論文のみ」で「楽勝や…!」と、非常になめきった受験生でした。
3年生の三者面談。担任は社会科系担当で、そもそも美術系・芸術系の大学に進む子自体かなり少ないですから、進路指導しようがない(笑)。私の志望校に関する知識はまっさら状態な担任先生へ「私は、ココとココを受けます。」と、宣言して「好きにしてください」状態で終了。というのが、未だに記憶に残ってます…(笑)
と、まぁなんというか「私は私がしたいようにしたい!」という部分はかなり実現しながら、荒波にもまれず過ごしてきたように思います。
(イヤな事を忘れているだけ?という可能性もるんですけど…)
ここで親が与えてくれた事って何だったかな?と思い返すと、
・高校受験のために、中学は進学塾へ
・芸術系は結構学費が高い。しかも姉2人はそれぞれ短大。一人で学費がかかる事に
こんなあたりでしょうか?
高校で、お世話になった美術の先生が「ゆうこさんの世界、好きだなー」と作ったものを褒めてもらう機会がなかったら、芸術系へ進もうとは思わなかったでしょうし、そう思うと塾に行く事で公立上位高へ進めた事は、今の自分につながっていると思うし、ムダではなかったなぁ、と。
大学は、自宅通学で下宿はナシ。ただし通学のために免許をとって、車も自分用に買ってもらったりして、3姉妹の中では一番、金銭的に与えてもらっている部分が多かったなぁ、と思います。
これは、はっきりいって「もうカネがかかるのもこの子で終わり!という末っ子の特権」以外の何者でもないでしょう(^_^;)
ありがとう、お父さん・お母さん!
ちなみに、姉二人は車の免許自体持っていません…。というぐらい大阪でも車の必要性が薄いところで育ちました。
◎こどもたちへ願うこと
「親に言われたから、親がこうだから」ということではなくて「自分がこうしたいから、この学校へ行きたい」。
親である、私たち自身がそうであったように、自己主張して、やりたい道を選んでいって欲しいと思います。
何せ、私もオットも10代後半は「自分が育てたこどもなんだから信用して。悪い事はしてない。」と、同じよーな事を親に言っては、好きに遊んでいた…時期があり…。
だから、オットが「受験はどっちでもいいけど、旅はさせたいなー」と、つぶやいていた事には、非常に共感するのでした。