最近、ボードゲームを買いました。実家に帰ったときにオセロを見つけ、我が子が夢中になったのが理由。最近は「ゲーム=コンピュータ」が一般的なんですよね。私の時代は「ゲーム=ボード」だったような気がします。たしか私が小学生低学年の時にインベーダーゲームが生まれたんじゃなかったっけ??それから、ダダダッ・・・と小型ゲーム機が出て、テレビゲームが生まれて・・・だったっけ(当ってる??)。
遅くなりましたが先週のテーマ「ゲームさせる?させない?その理由は?」について。
私はコンピュータゲームはすごく苦手で、一度も欲しいと思ったことが無いのです。テトリスもただ上に伸びていくだけで、すごく、下手。面白くない。主人もコンピュータゲームに興味が無いので、家にはゲーム機はありません。こんな私がテーマを考えてみました。
コンピュータゲームって「させる・させない」の○か×で決められることじゃないンじゃないかなぁ、と思います。ゲームを本に変えて考えてみたらどうだろう。友達同士が集まって本を読む。何もお互い話さずに、ただ下を向いて。ゲームをプラモデルに変えて考えてみたらどうだろう。友達同士が集まって物を組み立てる。お互い何も話さずに、黙々とプラモデルを見つめて。シチュエーションを変えて考えてみても、やはり度が過ぎると心配になります。「集中しすぎて、本来やらなくてはいけないことを怠ってしまう可能性」や「軽々しく命を考えるような世界へ導かれる可能性」への心配。
考えた結果たどり着いたのは「与えた後、親がケアできる自信があるなら与えてOK」でした。子供は、楽しい方へ・楽な方へ流れて行くもの。でも、時にはその気持ちの流れに逆流して、立ち向かうことが必要で、その葛藤のおかげで得るものがたくさんあって、だから「成長」できる。できれば、子供が勝手に逆流してくれればいいんだけど(ゲームやりたい気持ちに逆らって勉強する!とか、独り占めしたい気持ちに逆らってみんなに貸してあげる!とか)、それはそれは難しいこと。親が「逆流するんだぁ~!」「君ならできる~!」と根気よく応援して行く必要があるんでしょうね。
我が子は今4歳。今春、幼稚園入園です。去年は保育園で、「おもちゃを持ってきてはいけません」だったので、流行物を買うのかどうか、悩むことはありませんでした。でも先輩ママに聞くと、幼稚園生活にはいろいろありそう。買い与えてから始まる親のケア(逆流への応援)を怠らないよう、頑張らなくては。
ちなみに私が買ったボードゲームはディズニーゲームスタジアム。オセロのほかに9種類のゲームができます。小さなコマがいっぱいあるので、片付けがとっても重要。「無くなったらゲームができない」と、結構、我が子に言っています。「片付けしなさいっ(怒)!」が小言ではなく、あくまでも成長するための「応援」になるようにママも頑張るから、我が子よ、片付けせずに他の遊びに移りたい気持ちに逆流して、「片づけができる子」に成長してね。