■難病と闘う子供の夢をかなえる。そのための種をまくのが仕事です
重い病気と闘う子どもの夢をかなえるボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ」。日本事務局長を務める大野寿子(ひさこ)さんは、6人の子供がいるワーキングマザーでもあります。4人の子供を連れて離婚し、シングルマザーとして、40歳で初めて働き始めるものの、うまくいかず自信喪失・・・。その後、現在のパートナーとの再婚が決まり、家族が8人に増えようとした頃「メイク・ア・ウィッシュ」と、運命的に出会う。そんな大野さんが、ご自身の人生の岐路で感じてきたことや、2月に上梓された著書『メイク・ア・ウィッシュの大野さん』でも書かれている活動内容について、お話をうかがいました。
― ご出身は香川県ですね。子供時代、どんなお子さんでしたか?
大野さん:実家が商売をしていたので、みんなにかわいがってもらえて、人が好きでした! すくすく自由に自己表現ができたし、好奇心旺盛な子供時代だったと思います。
小学校4年くらいの時、キリスト教の集会が市民会館で開催されるという案内をもらったんですが、それがとてもかわいいマリア様の絵のカードだったんです。面白そうだね、とみんなで行ったら、外国人の宣教師のご夫妻とお子さんがいて。そういう初めての異文化体験が新鮮で、それ以来、そこに行ったらクッキーを焼いたり、という知らない世界に出会えて、とっても面白かった。だから、ずっと小学校のころは、教会に行ってました。中学校になると、ほかにもいっぱい面白いことができ始めて、ちょっと遠ざかってたんですけどね。
― 大学進学を機に上京されて・・・在学中は、劇団活動に力を入れてらしたそうですね。
大野さん:今思い出しても恥ずかしいくらい、不出来な学生時代でしたね。お芝居が好きで、夢中でした。当時、劇団四季は、今のような立派な劇団じゃなくて(笑)、まだ切符売りをしなければいけない時代だったんです。私は研究所の5期生で、6期生には鹿賀丈史くんや市村正親くんがいて、もう“プロ”という感じなんですが、5期は「芝居が好き」という程度の普通の人たちで、6期とはものすごい差があるんです。私は、歌も踊りもできなくて、劇団四季ではドンビリだったと思います(笑)。お芝居は好きだったんですけれど。
― 劇団がミュージカル路線にシフトしていったこともあり、大学卒業後、結婚を機に劇団は辞めて、その後、お子さんを続けて産んでらっしゃるんですね。
大野さん:女の子が欲しいと思ったけど全然できなくて、気がついたら4人も続けて男ばっかり(笑)。・・・子育ての時期って、振り返れば、ほんのちょっとの間。でも、それは終わってみて言えることで、中にいるときには、これが永遠につきまとうのかなって感じるよね。毎日毎日、ぞろぞろぞろぞろ、悪ガキをくっつけて歩いてると、この子たちのために自分のエネルギーをすべて吸い取られるようで、4人を風呂敷でくくって押入れに放り込みたくなるような(笑)。もちろん、子育てって面白いけれど、その反面、イヤだこんな生活!みたいに思ったりもしてましたね、正直にいうと。「毎日毎日は、やめてくれ~!1週間に2回くらいにしてほしい!」って(笑)。87年に夫の転勤でアメリカに行ってからは、とにかく、子供たちに英語を勉強させるのと、学校の送り迎えのドライバーをやってるだけでエネルギーを消耗するというか・・・。まだまだ元気な年代でしたけど。
●●大野さんの年表
1951年 香川県に生まれる
1970年 上智大学文学部に進学、東京へ
在学中は劇団四季付属の演劇研究所5期生として、芝居に明け暮れる
1973年 大学卒業後、商社マンと結婚。
計4人の男児の母となる
1987年 夫の転勤に伴い、渡米
1991年 離婚し、子供4人と共に帰国。劇団時代の友人が経営するブティックで働く
1994年 再婚。計6人の子供の母に。
ブティックの仕事を辞め、銀行のパート勤務への転職を考えていた矢先、
アメリカのボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ」の活動を知る。
日本事務所が沖縄から東京に移転すると聞き、スタッフに志願。
以後「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン」(MAWJ)の事務局長として、
難病と闘う子供たちの夢をかなえる活動に、精力的に取り組む。
■「こんな私でも神様は許して下さっている」とクリスチャンに
― 第2子ご出産後、洗礼を受けられたそうですが、何か、きっかけや心境の変化があったのでしょうか?
大野さん:学生時代、本当に不出来で、学校も行かなかったし、勉強しなかったということだけでなく、生活そのものが不出来だったと思うんですね。いっぱい人を傷つけもしたし、間違いも犯したし。そんな自分が結婚して、夫もいて、子供にも恵まれ、とても幸せな、平安でやわらかな生活を送っている。このような私でも、神様が、ずっと見てて許してくださってるということなんだろうなと思ったんです。そんなところから、クリスチャンになりました。
― 91年に離婚。お子さんを4人とも連れて、帰国されました。自分ひとりで経済的に養えるかどうか、という心配はありませんでしたか?
大野さん:自分でも思うんだけど、ものをあんまりシリアスに考えてないというか考えが浅くて(笑)、普通なら、まず石橋を叩くところを、すぐに渡っちゃうところがあって。とにかく、自分が全員連れて帰って一緒に暮らすしか道がない、ほかに選択の余地はない、と思ってた。周りのお友達が心配してくれて「4人もいなけりゃねぇ。ひとりかふたりだったらよかったねぇ・・・」とかいわれたけどね、だからって、誰かを手放して置いてくるなんてことは、全然、考えてもいなかったし。ただ、じつは、あんまりお金の苦労をしたことがなかったので、それがすごく大変なんだとわかってなかったの。なんか妙に根拠のない自信があって、自分はちゃんとやれるんだ、みたいに思ってて。それは過信だったと、後で気づくことになるんだけど・・・。
■40歳で、初めて働くことに。でも、“へなちょこ”でした
大野さん:日本に戻ってきた後、劇団時代の友だちが経営しているお店で、働かせていただいたんです。本当に彼女がいたから、普通の生活ができたんですね。だって、全然ろくに仕事をしたこともないのに自分はやれると勝手に思い込んでる、鼻っ柱の強い人間だった私を、何のトレーニングもなく雇ってくれて、しかも、「あなたのところはこれだけの子供を養って学校に生かせて家賃を払っていくために、これぐらいは要るだろう」という発想で、お給料をくださったんでね。その人のおかげですね。本当にありがたかった。
村山:ワーキングマザースタイルのスタッフにもシングルマザーが複数いるし、読者の方にも多いんです。なので、すごく、勇気付けられる気がします。
大野さん:でもね、その時代はへなちょこでした(笑)。仕事があまりにもできなくて。仕事ができるっていうのは、ある仕事を指示されたときに、それが仕事の全体の流れの中ではどんな意味があり、次にどうつながるのかを理解して、段取りよく進められることですよね。それが、私は全然その訓練ができてなくて、性格的にもアバウトってこともあるんだけど、たとえば、いろんな色の、たくさんのボールの数を数えて、といわれると、意味も考えず、やみくもに端から1,2,3,4,5,6,7・・・って数え始めちゃう。で、途中で電話が鳴って、それに出たりすると、ボールの数がわからなくなって、もう一度最初から数え始める羽目になる。・・・元気だし、本人も苦にならないんだけど、すっごく能率悪い(笑)。色別に数えて後で足し算したり、分類して整理しておいて、必要な時にはすぐに出せるようにしておく、というような基本的なこともできないんだから、はっきり言って、仕事ができないよね。
― 新卒の社会人1年生レベル、という感じでしょうか。
大野さん:いやぁ、幼稚園レベルね。でも、自分がそんなにできない人間だったとはそれまで思ってなくて。ちょっと努力すれば、何だって他人よりもうまくできる、と思い込んで生きてきたの。だから、できない人を見ると「要領悪いなあ」とか「トロい」「努力が足りない」と、内心軽んじてたの。表面的には仲良くしながらも、心の奥底では、非難したり、批判したり。ところがどっこい、自分がまさにそれだったと気がついて「今までごめんなさい!」と。これは本当に、自分が立ってる基盤を失くすくらい、情けなくて、みじめで・・・無力感でいっぱいでしたね。
― そのときの心境を「この経験がなければ、自分は元気なだけの、自信家のイヤなオバサンだった」と述懐されていますね。
大野さん:そうそう。その通りなのよ。根拠のない自信を持ってて、元気で勢いだけはあるから、きっと周りから見ると暑苦しい、困ったオバサンだったと思う・・・。今は、うまくできない人や失敗する人を見ても「ああ、自分もできないから、わかるよ、その気持ち」と思うようになりましたね。・・・ずっとキャパシティが広がったと思う。
■「やりたいことは決まっているんじゃないの?」の言葉に背中を押される
― 自分への自信が、粉々に打ち砕かれた。そんな経験を「あんな目に遭わなければよかった」と否定したり忘れ去ろうとするのでなく、きちんと受け止めて糧にされているのが、素敵だと思います。・・・その後、教会に通う仲間だった大野さん(現在のパートナー)と再婚されたのが、94年。
大野さん:彼は、私がアメリカに行く前から、奥さんや子どもたちと教会に来られていて。当時は「おはようございます」と挨拶を交わすぐらいの間柄で、そんなに仲が良かったわけでもなかったんだけど、私たちがアメリカに行っている間に、奥さんが、交通事故で亡くなったんですね。
1238円/メディアファクトリー
(この本の大野寿子さんの印税はすべて、メイク・ア・ウィッシュの活動資金として難病の子どもたちの夢をかなえるために使われます)
― 「メイク・ア・ウィッシュ」は、世界30カ国で14万人の子供を夢の実現をサポートしてきた団体ですが、その活動内容を知り、惹きつけられ始めていた頃、じつは、すでに銀行でのパートの仕事が決まっていたとのこと。でも「やりたいことは決まっているんじゃないの」と、再婚することが決まっていた今のご主人が、背中を押してくださって。
大野さん:そうですね。この人と出会ってなかったら、MAWJの活動にも、ボランティアとして時々関わるぐらいはしたかもしれないけど、こんなにのめりこんだり、スタッフになったりはしなかったと思う。のろけになりますけど、彼と再婚するまで、こんなに自立している男の人がいるとは思わなかった。
― うらやましい!
大野さん:うらやましいと思うでしょう? ・・・前の夫は、べつに悪い人ではないんだけど「家に帰ったら、ごはんができているのが当たり前」で、自分が家事をすることはないし、休日は寝てる、というのが、彼にとって機嫌のいい状態だったんですね。私も、機嫌を悪くされるのはイヤだったし、男の人に意見を言ったり頼みごとをしちゃいけない、と思っていて、言えなかったんです。耐えて尽くすのが、居心地よかったんでしょうね。演歌みたいな。
■パートナーを育てて生かす、そんな人がいるとは思わなかった
大野さん:普段の生活って、ごはんを食べたり、掃除したり、買い物をしたり、こまごましたことが多いですよね。大野は、そういうことへの気配りがちゃんとできて、自分でもやり、それを奥さんに求めないんです。あ、ホントは求めてるのかもしれないけど、奥さんができなきゃ、自分がやればいいと思っている。「勝手にしてていいよ」と、しぶしぶ黙認するんじゃなくて、やりたいことや、やろうとしていることを応援してくれる、パートナーを育てて生かす、ということができる人なんですよね。
― パートナーの反応と協力体制によって、女性は、パートなどの残業のない仕事を選ばざるを得ない可能性大だと思います。そういう意味でも、すごく大きな出会いですよね。
大野さん:すごい大きな出会いだし、こういうパートナーじゃなかったら、ここまでやれなかったと思う。私がこういう世代だからかもしれないけど、土日に活動がある時なんかに「ごはん作ってあるから、出かけるね」と堂々とは言いづらくて、夫や家族に気を遣って、機嫌悪くならないようにしよう、とか思うんですよ。やっぱり、しぶしぶ、じゃなくて、にこやかに「うん、いいよ!」と言ってくれないと、イヤだ、という思いはすごくある。そうじゃないと、ここまで、時間やエネルギーは、割けないですよね。
― 家族があまり協力してくれなくて、やりたいことがあっても二の足を踏んだり、思い切りエネルギーを注げない・・・という女性って多いと思うんですが、パートナーがそういうタイプだと、協力的になってもらうように相手に働きかけて変わってもらうことって、難しいんでしょうかね。大野さんのご主人は、もともと、そういう方なんですか?
大野さん:もともとそういう素養はあったんだろうけど、前の奥さんを亡くされてからの5年間という時間が、彼を育てたんだと思います。ほとんど台所に立ったこともなかった人が、中学生と高校生の子供のお弁当を作って学校に送り出す、という毎日を続けた5年間が・・・。
― 大事な人を失った喪失感の中で、日々の雑事をこなされ、しっかりお子さんを育てて・・・。尊敬します。
MAWJへの参加は「半ば押しかけで」と著書に書かれていますが、全くのボランティアでなく、お給料を少しでもいいからもらいたい、という点で、すごく粘って交渉されたんですね。
大野さん:そうそう。やっぱり、ボランティアだと自分の中に甘えが出るだろうというのもあって。「今日はいいお天気だから、休んでおふとん干そう」ってなっちゃう弱い自分なので・・・。4人も子供を連れて普通のサラリーマンのところに行くからには、さすがに何かして働かなきゃ、と思っていたし。ボランティアでやったら、それに、もし家族に迷惑がかかったときに「お母さんは好き勝手やってるからいいけど」と、ご飯ができてないとか、頼んでいたクリーニングを取りに行っていないとか、家族はふてくされて、だんだん機嫌が悪くなりますよね。活動を長く続けていくためには「お母さんは仕事だから、自分で○○やっといて」と言えるかどうかも大きいと思いました。
■「重たい仕事」と本当の意味で気づいたのは、ずっと後でした
― 「難病の子供の夢をかなえる」というのは、有意義な活動でありながら、非常に重い仕事ですよね。相当タフな心と覚悟がないと、興味だけではなかなか踏み出せないのでは、と思ってしまうのですが。
大野さん:「難病の子供の夢をかなえる」っていうと、普通は「難病の」という重たいところと「夢をかなえる」という美しいところの両方を見るわけですよね。でも、私の場合は、普通なら、考えるべきところをあんまり考えない、というか・・・。「夢をかなえる」という部分しか、見えてなかった。「難病の」と知ってはいるんだけど、その実際のしんどさとか大変さとかを推し量ることができずに、ポンと飛び込んだ、飛び込めたんだと思います。
身内や知り合いに重い病気の子供を抱える家族がいたら、その重さがわかっていたかもしれないんですが、それまでに、そういう子どもたちとの接点が全然なかったんです。
だから、重たい仕事だってことに本当の意味で気づいたのは、ずっと後でした。
― 活動を始めて2年後、初めてウィッシュ・チャイルドの死に直面されました。そのときのショックは、きっと相当大きかったことと思います。
大野さん:多香恵ちゃん(※1)が亡くなったとき、「難病の」という側面がワーッと具体的な実感として、迫ってきた感じでしたよね。「へたった」という日本語が美しいかどうかはわからないけれど、へたり込みたくなるような、体の中から力が抜けていくような感覚がありました。
とくに、ご葬儀でお母さんの涙を見たときに、親としての自分とオーバーラップして・・・。辛かったですねー・・・(しみじみと)。だからもう、ほとんど、お葬式には行かないようにしているんですけど。
― 白血病で深刻な病状なのに、ほかの病気の子供の辛さを思いやれる美緒ちゃん(※2)のように、小さな子供が病気と一生懸命に闘いながら、美しく生きている。この本の全編を通じて、そこに感動を与えてもらいました。一丸となって、子供の夢をかなえようとする周りの人々の優しさにも、世間はまだまだ捨てたものじゃない、と思うし、胸が熱くなります。夢をかなえるために渡米する瞬くん(※3)が予定の飛行機に乗れず、ぐったりしている時に、キャンセル待ちの順番を快く譲ってくれる人がいたり。X-Japanのhideさん(※4)があんなに素晴らしい人だったことも、じつは恥ずかしながら、この本で初めて知りました。
ボランティアというと、一方的に奉仕する、というイメージを持っていたんですが、与えてもらうものが、大きいんですね。
※1 土屋多香恵ちゃん。生きものが大好きで「世界でいちばん大きなカブトムシに会いたい」という夢をかなえました。脳腫瘍のため、8歳で亡くなりました。
※2 「病気と闘っている子どもたちに元気を出してほしい」と自分の絵本を出版した清水美緒ちゃん。
※3 日本人メジャーリーガーに会い、メジャーのスタジアムで始球式を行う夢を実現。
※4 hideさんは「GMIガングリオシドーシスIII型」という世界に23例しかない難病と闘う貴志真由子ちゃんをずっと励まし、支え続けました。
大野さん:与えてもらうもののほうが、ずうっと大きいんです。私たちが何かしてあげてるってことじゃなくて、本来、子供が持っているものが、「病気が治ってから」とガマンさせられていたなかで、埋もれていたものが、夢をかなえた大きな喜びのなかで、バーッとはじけて。
― すばらしいものを持っている子が、たくさんいますよね。・・・本に出てきた子供たちのことを思い出すと、つい、涙が出てきてしまいました(徳光和夫さんモードになり、言葉に詰まる)。
村山:病気のためにかなえられていなかった夢が実現されていく、それも「かなえてもらう」というのでなく、自分でかなえている。それが、どの子どもの物語にもあって、すごくいいなあって思いました。
■せっかく生きるんだったら、笑ったり喜んだりしながら生きないと、もったいない
― 1日だけの思い出作り、っていうことではなくて、その後の人生の中でも「あの日を思い出してがんばろう」と継続的に希望を持ち続けられるようになった子供と家族が、たくさんいますよね。そこに、すごい活動なんだなと、しみじみ感動しました。
大野さん:病気が治る、治らないという尺度だけじゃない尺度で、今を生きる、日々を生きる。ということだと思うよね。病気であっても、周りの人にいろんなことを教えているし、子供自身も、日々、喜んだり、笑ったり、十二分にハッピーだったり。
病気が治るかどうか、生きるか死ぬかっていうのは、もう神様の領域で、私たち人間の力じゃ、どうにもできない。みんな、できることはもうすべて、しているわけで。私たち人間ひとりひとりができることとしたら、その中で、どうやって、生きるか、ということでしかないだろうと思うし。
そう考えると、せっかく生きてるんだったら、もっと笑ったり喜んだりしながら生きないと、もったいないですよね。面白がって生きなきゃ、と思ってるんです。できるだけ、「楽しげだったね」「アホだったね」といわれるように、人生を生きたいと。
だって、きっと誰だって、これからの人生で、ゲッ!という不条理な出来事に遭遇することは避けられないわけで、正しいことをしてたからって、いつもいい結果につながるわけでもないし、失敗もするし。でも、イヤなことに遭ったときに、あんまりヤダヤダと文句を言わずに、ま、しょうがないか。とヘラヘラ笑いながら、「変えられないことだったら、まあ、やってやるか!」という気持ちで生きていきたいな、と自分の中で思ってる。子供たちを見て、なおさらそう思う。
■ボランティアには「3つのススメ」があります
村山:本のなかに、ボランティアをする上での「3つのススメ」(※5)がありますよね。私も、ボランティアをやりたい気持ちはあるんだけれども、日々忙しい中で、継続ができないんじゃないか、とか、自己満足なんじゃないか、とか、偽善者っぽくないか、とか思いがちだったんですね。その解決策が、すべてこの4ページの中にある! みんながこの本を買ってこの「3つのススメ」の考え方を持つことによって、MAWJの活動でも、ほかのボランティア活動でも、一歩を踏み出すきっかけになれば、すごくいいと思うんですよ。
大野さん:うれしい、うれしい。本当にそう。だって、人生、いろんなこと、あるしね。女の人は、子供が小さいと、ボランティア活動のために動けなかったり。年取った両親をみなきゃいけないってこともあるだろうし。そんな、まなじりを決して「今、やらなきゃ!」と思い込まずに、気軽にね。
※5 「三日坊主のススメ」「自己満足のススメ」「売名行為のススメ」。詳細は大野さんの著書『メイク・ア・ウィッシュの大野さん』で確認を!
村山:子育てを経験して、大変さがわかっているからこそ、子育て中の人を支援したい!とか思っても、ためらいがちな気持ちを肯定してくださっているのが、素晴らしいと思いました。三日坊主のススメ、というのも。
大野さん:ちょっとのぞいてみて、違うと思ったら辞めてもいいのに、なんか、やっぱりマジメなんですよね。やってみる前から「やれるかどうか・・・」と一生懸命考えて、途中で辞めたら根性なしみたいに思われる、とか、ほかのボランティアに行くのは移り気だ、みたいにマイナスのことばかり考える人がいるんだけど、まずやってみることが、すごく大事だと思ってて。
やってみて、違ったと感じて辞めることは、恥ずかしくないし、ほかにやりたいことがあったら、ほかの事をやってもいいし、忙しくなったら、休むのも悪くないと思うんです。その点、すっごく日本人はマジメなので、やるからにはピシッと! ほかの人に迷惑をかけちゃいけない!とか。
でも、普通に考えて、物事を初めにやるときには、そんなに回りに迷惑をかけるほどの大きな仕事を任されることって、ないし、大きな仕事を任されるときにはそれだけ自分も育ってるし、突発的なことが起こってできなくなる人がいたら、それを支えるだけのサポートは、組織として、当然やっていくしね。あんまり初めから不安材料ばかり探しちゃうと、前に進めなくなると思うのね。
― 少しずつでもやる人がたくさんいたほうが、集まる力は大きくなりますね。
大野さん:そう。活動を始めたばかりの頃、面白いなと思ったのが、アメリカの人たちが「今、水道橋にいるんだけど、2時間ぐらい時間がある。何か、できる仕事はない?」って電話をしてくるの。ああ、そういう風なやり方があるんだなって。
日本人の場合「月曜から金曜まで、週に何回、曜日を決めて来なきゃいけませんか?」とか、会社勤めのような感覚だから、自分も息が切れちゃうんですね。そのベースにあるのが「楽しみながらやる」ってことができないからだと思う。
村山:そのあたりは、3つのススメのひとつ、「自己満足のススメ」というお話と重なってきますね。
大野さん:自己犠牲をしたいと思って、それを喜びにできる人は、それでいいんですよ。だけど、そうじゃなくて、「○○せねばならない」って、義務とか修行みたいになっていたら、一生懸命頑張った分だけ、やればやるほど思い通りにいかないことがあると、愛憎相反して腹が立ってくるし、自分を追い詰めたり、落ち込んでくるんですよね。
思い通りにいかなくて、ある程度、当たり前なんで、少しでも思い通りに近づければいいなあと思ってやる。そういう姿勢は、無責任だとかいろいろ怒られそうだけど、私の中ではそれが自然なんです。
― 事務局長の大野さんがそういうスタンスだと、参加する側も入っていきやすいですね。
■「ここに来たら楽しい」と思ってもらえる場でありたい
大野さん:ボランティアの方々は、交通費も自腹で手弁当で来てくれるので、私がいちばん願うことは、仕事の効率ではなく、みんなが「ここに来たい」と思ってくれること。ここに来たら、なんか楽しい、と思ってもらえる場でありたい。
仕事が速い人もいれば、遅い人もいて、私みたいに、書類に訂正印ばっかり押していたり、探し物をしてる時間のほうが、長いよ~みたいな人もいてね(笑)。でも、来てくれることが、やっぱり何よりの財産なんです。
私たち、なーんにも渡していなくて、お金もあげないのに、来てくれて、いてくれる。人が集まるということは、活気も出るし、素敵な人と出会えるし。それが、財産ですね。
村山:みんなの「自己満足」が、ぶどうみたいにたわわに実って、つながっていけば、いいんですよね。
大野さん:自分を満足させる楽しみを見つけるというポジティブな考え方は、すごく自分を元気にするし、自分の元気さは、周りを元気にしていくし、とっても大事だと思ってます。
村山:3つのススメの最後の「売名行為」っていうのは、すごい表現ですよね(笑)。
大野さん:ほかの言い方をしてもいいんだけど、インパクトが強いほうがいいだろうってことで、受け狙いで言ってるんだけど。自分の名前が出ちゃ悪い、みたいに言われがちだけど、そうじゃないのよね、やっぱり。伝えるためには、自分の名前が出ることは、ちっとも悪くないし。そのうち、忘れるから、みんな(笑)。名前が出た!っていつまでも覚えてるのは、自分だけ(笑)。
それから、ボランティアをしている、っていうと、すごくいい人間みたいに思われて、たとえばうちの息子が何か学校で問題を起こしたりすると「お母様はボランティアの事務局長なのに、信じられない!」みたいに言われがちなんだけど「子育てを間違えたのは私です。申し訳ありません」と謝りつつも、そんなに「人間失格」とか「二重人格」みたいにいわなくても・・・と思う(笑)。だって、バツイチだし、いっぱい間違いしてきたもん。叩けばいっぱいほこりが出る、出しがいがある。
■手をつないで「持ちつ持たれつ」できる関係が広がれば、ハッピーだと思う
村山:このサイトは、仕事をしていない方もけっこう読んでくださってるんですが、そういった方々に向けて、最初の一歩を踏み出すためのメッセージをいただけますか?
大野さん:自分が「面白い」「やってみたい」と思ったことは、それ自体がチャンスなんで、やってみたほうがいいんじゃないでしょうか? あんまり心配しすぎないで、やってみたら、できることっていっぱいあるし。助けてもらえることも、いっぱいあるし。
私、自分がフットワークがよくて、友達に何かあったらすぐにススッと手伝いに行くもんだから、逆に、友達にも「ねえ、○○してくれない?」って頼みやすいというのがあって。困ったときや何かをやってみようって時に、お互い助け合えたり、子供を預け合えたり、というのをあまり力まずに「持ちつ持たれつ」が気安くできる関係があると、広がっていけて、ハッピーだと思います。
子供が幼稚園の頃、近所に子育て中の人にすごく仲良しの人がいたりして、お母さん同士で集まったりしていたんだけど、閉じ込められていない世界があったのは、救いでしたね。アメリカに行ってからも、仲良しのお友達ができて、たくさんの人に支えてもらいました。特に、後半になって、うちがガタガタになって、離婚というところに至るまでガーッとひっくり返り始めたので、そんな時にも、友達が支えてくれたのは、ありがたかったですね。
今、「手をつなぐ」ということがヘタ、というか、その経験がない人が多いんだね。きっと。「他人に迷惑をかけちゃいけない」「他人から迷惑をかけられたくない」っていう風にカッチリ考えちゃうと、しんどいと思う。一人一人の力は小さくても、手をつなぎあっていくうちに、思いもしないような大きなネットワークになることだって、あるし。
― このブログも、人と人をつなげる手段の一つになればいいなと思いますね。
村山:そうですね、ブログってつながるメディアだから、面白いと思っています。ところで、4月のチャリティマラソン出ますんで!
大野さん:ありがとうございます。ベビーカーを押して歩く人もいれば、子供と手をつないだり犬を連れてお散歩気分で参加する人もいます。おそろいのTシャツ作って、みんなで出たら?
村山:あ、いい“売名行為”ですね!
☆ボランティア希望の方は、こちらと各支部からのお知らせ をご参照ください。
過去の失敗なども包み隠さず、柔らかな笑顔で語ってくれた大野さん。人を引きつける明るく温かいオーラに包まれていました。「〇〇してくださった」などと、周囲への気遣いにあふれた美しい日本語を話されるのも印象的で、彼女の周りに人が集まってくる理由がよくわかりました。強さと優しさ、両方のバランスの絶妙さがとても魅力的で、こういう人に、私もなりたい。と思いました(葉山)
気負わない。それがどれだけたくさんの人をリラックスさせてきたでしょう。いわゆる「いい人」にありがちの、窮屈さがまったく感じられない、本当に自然体の、ものすごくいい意味でのポジティブなミーハーさに溢れていた大野さん。わたしも、こういう人になりたいと、つくづく思いました。(葉山さん、ごめん、真似して)(村山)
私もボランティアというと、気持ちや生活に余裕のある人か、はたまた何かに追いつめられてやっている人・・・というイメージがありました。中途半端にやっちゃいけない、みたいな。やってみたい、と思ったら、もっと気軽に参加してみてもいいんですね。
それにしても大野さんの笑顔、素敵です!ご経歴を知ってビックリしました。あとさき考えないおおらかな気持ちも時には大切だなぁ、と思った次第。そして肩の力をぬいて生きること・・・学びたいです。
それでも、これまでの人生でいろんな苦労や努力をなさってこられたのだと思います。私も泣いたり笑ったりしながら、大野さんの年代になったら、大野さんと同じような笑顔を見せることができる女性になりたいです。このたびは、本当にありがとうございました。
専業主婦の時ちょっとだけボランティアで車椅子の人のサポートをしたことがあるんですが、その後自分のプライベートなごたごたで、うやむやになってしまい、いまだに気になるというか、汚点として心に残っていたのです。
でも、なんだか、それでもいいや、また参加してもいいんだわ、とふっきれました。ありがとうございました。
ボランティアに前向きな旦那さんはできることから今はじめようというタイプ。私は間逆で大野さんのおっしゃる悪い日本人タイプ。やるからにはちゃんとやりたい、それまでは、という。(苦笑)
かかわれることに、かかわれる形からはじめてみようと思いました。嫌ならやめればいい、とのお言葉が背中を押してくれています。
ありがとうございました。
ささやかながらNPOに携わっておりますので、運営者側の立場からも読ませていただきました。「ここに来たら楽しい」と思える場所づくりが大事、という言葉に、そのためには何が必要かな~と考えさせられました。まずは、「自己満足」ですね!
御著書も、ぜひ読ませていただきます!
「ボランティア」という言葉には、生半可な気持ちで取り組んではいけないというイメージを持っていました・・・生真面目に考え過ぎていたのでしょうね。実は手を繋ぐのが下手なタイプだという自覚があるのですが(苦笑)、「3つのススメ」を参考にして、今の自分に出来る事から始められたらと思います。
難病と闘う小さな命のテレビ番組を見て涙するだけでなく、自分にもできることがあるんだ、ということが分かりました。
チャリティマラソン、親子で参加してみようと思います!
メイクアウィッシュの活動、本当にすばらしいといつも思っていましたが、日本代表の大野さんのお人柄を知れて、素敵なインタビューありがとうございます。
ブティック時代のお話などを読ませていただくと、、とても親近感が沸いてきます。
宗教観やその他の環境から欧米に比べると、日本人にとってはボランティアに対する心の壁が高いですが、大野さんの言葉を聞いてできることからまずはやってみようという気持ちになりました。
ボランティアに対する考え方、素晴らしいパートナーとの出会い、それを自然に受けとめていらっしゃる姿に共感しました。
お互いに助け合える関係が築けることは素敵なことだと思います。
ボランティアについて、我が家でも子どもと一緒に考えてみたいと思います。
>病気が治るかどうか、生きるか死ぬかっていうのは、もう神様の領域で、私たち人間の力じゃ、どうにもできない
これは私がずっと思っている事でもあります。だからこそ、神様の匙加減で今元気に生きている私たちは何か出来る事をしなくちゃ、とも。
学生時代4年間+働き始めてからしばらくは、小児麻痺の方や病院でのボランティアをしていましたが、もう何年もやってないなぁ。。学生の頃より大分分別がついた、と言うか自分自身へのうまい言い訳を覚えて「やるならしっかり」という意識が芽生えているんだ、とこの記事を読んでハッとしました。
また、自分で出来る事を始めたいと思います。
「夢をかなえてあげる」というのはすごく素敵な活動ですね。老人ホーム、養護施設の子どもをスキーに連れて行く活動、障がいを抱えた子どもをディズニーランドに連れて行く活動、と誘われるがままにバラバラとボランティアしたことがありましたが、あまり深刻なのはしたことがありませんでした。子どもが産まれてからは遠ざかっていましたが、できるところから、ということで、ぜひベビーカーでマラソン参加させていただきたいと思います。本当にお散歩気分になりそうですが、千鳥が淵は気持ち良さそうで楽しみにしています。
せきららに語っていただき、ありがとうございます。いろいろなことが詰まったお話でした。今、できることから、気軽にボランティア・・・・。そうですね、私も「せねば」派で、行動に移すには敷居が高かったのですが、ちょっと息を抜いて始めてみたくなりました。そして自己満足したいです!ありがとうございました。
とっても元気になるお話有り難うございました!私もまさに今、双子を連れて離婚を決意した立場なので、なんだか勇気づけられました。性格的にも、「おもしろそう」「やってみようかな」というのがはじめに来るタイプなので、勢いはあるけど、着地が悪いことがしばしば・・・。でも、それでもいいんだ、と言っていただいたような気持ちです。本、読ませていただこうと思います!
プレゼントありかとうございました。娘の夢は少し時間がかかるかもしれましんが、必ず親子3人でかなえたいと思います。娘の夢はいくつか有り、「車椅子の花嫁」を書かれた鈴木ひとみさんにお会いしたり、「五体不満足」を書かれたおとたけさんにお会いしたりしてきました。次は大野さんにお会いして、いろいろな話をしてみたいと言っていました。ぜひお会いできる日を楽しみにしています。
ふ-ちゃんママより