私にとって、「仕事」は永遠のテーマであり、「仕事=自己満足」だと思っている。男の同僚の一人は、「自己満足で終わってはいけない。ちゃんと会社も満足させないといけない」と言う。もちろん、上司が満足する結果をいつも出せることが理想的だが、会社で働く以上、そんな日ばかりではない。そして、そんな日をどうやって生き延びるかと言うと、「自己満足」なのではないだろうか。「自分で自分のことをよくやった」と言えるかどうかということだ。もし言えないのであれば、努力が足りないわけで、次からもっと頑張ればいいだけのことなのだ。
でも、自分に100%自信がないから、どこでも働けると思っていないから、「失業」に対して、すごい脅威を抱いている。「自己満足」だけでいいのかどうか、迷っている自分もいる。
私という人間を表している詩、「仕事第一の女」をここで紹介させてください。みなさんも、「仕事=自己満足」と思っていらっしゃるのかどうか、教えて頂ければ嬉しいです。
「仕事第一の女」
女にはいくつもの顔がある。妻である私、母である私、女である私、仕事人である私。どの顔を優先させるかは、その人次第。私の場合、仕事人の顔を一番に選んできた。
二十歳の頃から働き始めて足かけ十七年。転職四回。それぞれの職場で吸収したことすべてが、今の自分の仕事につながっている。
証券レディ時代は、セールストークと顧客開拓術を、船会社では、コンピュータの使い方を学んだ。結婚のため渡独。日本貿易振興会で雑務一般を担当。生きたドイツ語に触れ、ドイツの生活を楽しみ始める。
二十九歳のとき、ドイツの通信ソフト開発会社で正社員になる。念願の正社員。ばら色の人生が始まると思った。しかし、待っていたのは厳しい現実。ドイツ語が同僚に伝わらない。日本語のメールの内容がわからない。同僚が話すドイツ語がわからない。悩んで落ち込む日々。
いつ辞めさせられてもおかしくない、いつ辞めてもよいと自暴自棄になる。でも辞める勇気がない。失業者になりたくない。もう少し自分を試してみよう。辞めるのはいつでもできるんだから、、、。
不思議なものでそう決めた瞬間、心が軽くなり、仕事が乗ってきた。プロジェクトも成功し、自信が少しついた。しかし、勤めてた会社が親会社の命令で解消。運良くドイツの携帯電話ゲーム開発会社に転職していたので、恐れていた失業を免れる。
三十三歳で娘を出産。会社とつながっていたいという気持ちから、妊娠中も育児休暇中も、仕事を出来る限り続けた。時間に追われるというストレスはあったが、仕事ができることと、会社は私を忘れていないという満足感が私を包んだ。
仕事再開。最初の一年は、自宅勤務。娘におっぱいを飲ませながらメールを書いて、そのまま娘が眠ってしまうということもしばしば。娘にビデオを見せながら、急ぎの仕事を片付けたりもした。娘に申し訳ないと思いながら、仕事に熱中してしまう私。母親失格だと自己嫌悪の日々。
仕事に復帰して一年後、社長から品質管理責任者に任命される。予期せぬ出来事に、身体中の血が駆け巡り、熱くなるのを感じた。現在、数人の部下を操り、テスト三昧の毎日を送っている。
私にとって仕事とは何か。なぜここまで仕事に執着するのだろうか。私の心の声に耳を傾けてみる。有名になりたい。尊敬されたい。賞賛をあびたい。褒められたい。自分に挑戦したい。自分の可能性を見つけたい。様々な気持ちに気づく。
私は自己満足のためだけに仕事をしているのだろうか。そのために家族を犠牲にしているのだろうか。娘や主人と一緒にいる時間でも、気がつけば、頭の中には仕事のことがある。
仕事は私に生きる活力を与えてくれる。仕事と共に泣き笑いする人生。仕事している自分が好き。心が働くことを欲している。それが私。
みどりさん、私も今凄く悩んでいます。仕事を成立させたくて、努力して努力して、切り開いたものも、主人や子供が理由できらざるを得ない・・。そんなことの繰り返しのような気がしたりして、納得して、考えて1からスタートしているのに、現実が厳しくてやっぱり、へこたれそうになったり・・とほんとに、いつになったら・・と落ち込んだり、盛り上がったりしていました。一人、渡独されて紆余曲折されていた気持ちがとても伝わりました。
私も、頑張ります!!また、戻られたら会いましょうね。子供たちも楽しみにしています。
薫子さん、コメントありがとうございます。
仕事をしているお母さんは、大なり、小なり、いろんなことで、悩んでいるものなんでしょうね。
私の場合、娘におっぱいをあげながら、コンピュータのキーボードを叩き、眠ってしまった娘を抱えながら、キーボードを叩き続けるということを、経験しました。そのときは、「本当にこれでいいのか?」と、眠っている娘の顔を見ながら、自問自答しました。答えはいまだに出ずじまいです。
でも、やっぱり、仕事がしたいんですよね。薫子さんも、自分を励まして、家族の理解を促しながら、お仕事がんばってくださいね。
はい、里帰りしたときには、また遊んでくださいね。楽しみにしています。
以前コメントさせて頂いたことがある「花」です。
我が家の長男坊も4歳なので、
コメントにいつも共感しています。
「私の仕事が自己満足なんじゃないか?」と思うこと、私もたくさんありますよー。
ただ、家計を背負う世のお父さん方もお母さん方も選択肢がないわけで、贅沢な悩みといえば悩みかしらと、今になって思います。
私の場合、子供たちが在宅で起きている間(普段は保育園)はまったくと言って仕事ができないので寝ている間にコソコソ仕事をしているのですが、
体力的にもしんどく土日も仕事がはかどらないので、かなりの不利を感じます。
でも、人生やり直す選択肢があっても二人のお母さんになることは絶対選ぶなーと思います。
あと、翻訳者になることも。年子の子育てはしんどいし、翻訳者も割に合わない厳しい仕事ですが。
私は、人生の1年後、3年後、5年後、10年後を考えながら色々決めるようにしていますが、将来自分が後悔しないかも考えないとと思います。
といいつつ絶対に将来後悔するなーと思っているのは、子供をしかりすぎること、感情的になることでしょうか。
どんな人生だって後悔はありますよね。
私の母は43歳で亡くなっているのですが、どんなに無念だったかと思うと年齢が近くなり同じ2児の母になって思います。後悔を少なくするためにも、言い古された言葉ですが「いまをいきる」のもよりよい人生のために大切ですよね。
はなさん、またまたコメントありがとうございます。
私のエントリに共感してくださって、とっても嬉しいです。
実は、18歳から20歳まで、英語の専門学校に行っていた時機がありました。そのとき、通訳を最初目指してすぐに挫折して、翻訳に転向したのですが、根気のない私は、また挫折してしまいました。
高校のときの英語の成績がよかったので、英語の専門学校に行ったのですが、「上には上がいる」というのを、このとき肌で感じました。
負けず嫌いの私は、負ける勝負をするのが嫌で、英語の世界から逃げてしまったのです。そのくせ、本音では、英語が上手になりたいって、おもっているのですから、矛盾していますよね。
だから、翻訳家のはなさんを大尊敬します!
お母様は43歳でお亡くなりになったのですか。本当に無念だったでしょうね。お悔やみ申し上げます。
「今を生きる」という言葉、本当にそのとおりだと思います。私が大好きな言葉の一つも、「一日一生」です。
おっぱい飲ませながらPCに向かうって、私も経験があるよ(笑)懐かしく思い出しましたが、別に恥じてはいません。
自己満足できるなら、私はそれは最高だと思うけどなぁ。顧客満足、家族満足がないと、自己満足はできないと思うから。
みどりさんのパワーに、元気をもらいました。
京太さん、コメントありがとうございます。
そうなんですか?京太さんも、おっぱいを飲ませながら、PCに向かって、お仕事をされていたんですねー(感動!)。
顧客満足、家族満足がないと、自己満足はできないと思うから。
↑
そうなんですか!いい言葉をもらいました。家族満足があるから、自己満足ができるんですね。
また、明日からがんばれそうです。
みんな子育てや家庭とのバランスに悩みながらやっていると思います。身近な人がかならずしも理解者になってくれるとは限らず、辛いときもあるかもしれません。でも自分のためにでも続けていくことって大切ですよ。一度の人生ですしね。
仕事と家庭の優先順位なんかも決めてしまわないでその都度状況で変わっていっていいと思いますよ。
私は子供や家族が健康だったら、仕事優先、何かで誰かが弱っていたらその人優先かな。仕事で辛いときは子供に逃げ、家族とギクシャクするときは仕事に逃げというのもありだと思ってます。
トラブルがあっても時間が解決することも多いので、立ち向かうばかりでなくかわしてやり過ごすこともひとつの手段ですね。
あれこれ悩みながらがんばりましょう。
リオさん、コメントありがとうございます。
「仕事と家庭の優先順位を決めないで、その都度状況で変わっていいのではないか」というご意見を初めて聞きました。
でも、そうですよね。仕事でも優先順位はクルクルその場の状況によって変わるのですから、自分のライフスタイルでも、優先順位が変わってもいいんですよね!
なんだか、目の前がパーっと明るくなりました。ありがとうございました。