9月前半の金曜日、会社の遠足があって、私の部下も2名参加した。外ということもあって解放的になり、夏季休暇中に私の代理をしてくれた部下といろんな話をすることができた。
私 「代理の仕事はどうだった?思ったよりもしんどかった?それとも、楽だった?」
部下 「思ったよりもしんどくなかったです。もっと大変だと思ってました。」
私 「それはよかった。社長も、他のテスターも、開発チームのメンバーも、チェコのQAマネジャーも、あなたの仕事ぶりを評価していたわよ」
部下 「すっごく嬉しいです」
私 「がんばったね。突然なんだけど、私のことをどんな風に思ってる?」
部下 「(ためらいながら)上司というよりは同僚という感じです」
私 「えっ?(ちょっと驚く)」
部下 「会社の中でも、みんな名前を呼び捨てにして、アットホームな感じですし、、」
私 「でも、私のこと尊敬してくれてるよね?」
部下 「もちろんです。あなたが言ったことは、すべてMUSTですから」
私 「ありがとう」
部下 「それに、今までいろんなアルバイトをしてきて、どこも一ヶ月や二ヶ月しか続かなかったのに、今のテスターの仕事は、一年以上続いています」
私 「それって、私と一緒に働くことが、楽しいっていう意味なの?」
部下 「もちろんです。そうでなければ、こんなに長く続いていません」
私 「ありがとう」
この会話のとおり、私はたまに、部下に気持ちを尋ねたりしている(もしかしたら、部下に自分を上司として、どう思っているのかを尋ねるのは、非常識なのかもしれないが、、、)。
部下が満足して仕事をしてくれているのか気になっているというのもあるし、部下とのコミュニケーションが大切とも思っている。しかし、一番の理由は、自分に自信がないのだ。
なぜなら、テクニカル・バックグラウンドを持たない私は、技術的分野で弱点を持つからだ。そして、ドイツ人に、母国語でないドイツ語を話して、仕事の指示をするので、ちゃんと理解してもらっているのかどうか、不安な部分もある。更に、英語も部下の方が上手だったりするので、上司として情けなく思っていたりもする。
私は、上司として自分がどう見られているのかを、常に気にしている。6名いる部下は、一番下が21歳で、一番上が27歳。全員ドイツ人男性で、37歳の私とは、10歳から15歳の年齢差がある。
「上司というよりは同僚という感じ」とは、私は頼りない上司ということになるのだろうか?それとも、親しみやすいという意味で、褒め言葉になるのだろうか?
みどりさんは、そもそも、どう言ってもらいたかったのでしょうか?
何か明確な理想の上司のイメージがあるのでしょうか?
らむねさん、コメントありがとうございます。
本当ですね。私はどう言ってもらいたかったのだろうか?今まで、しっかりと考えたことがありませんでした。
ただ、「上司というよりは同僚という感じ」という言葉に、少しショックを受けたことは確かです。
私としては、「尊敬する上司」という風に、言ってもらいたかったかのもしれません。
理想の上司のイメージですか、、。やっぱり、なんでも知っているパーフェクトな上司ですよね。誰が何を聞いても、すぱっと答えられる物知り上司です。
今の私は、全部即答できません。勉強不足な自分を感じています。
今年の11月で、上司になってから、丸二年になります。まだまだであたりまえなのでしょうか。
何年経てば、一人前の上司になれるのでしょうか。
上司となると、気になりますよね。部下がどう思っているか。
でもきっと部下も気になっているでしょう。上司がどう思っているか。まず、それを相手に伝えるといろんなことがスムースになると思いますよ。
上司は親と一緒で、まず与えて、かつ与えて、そして与える。評価・責任いろんなものを与えるのが仕事のようなものですものね。
らむねさん、そうなんですよねー。部下がどう思っているのか気になってしまうのですよね。
でも、らむねさんに今日コメントを返して、自分の理想の上司像がはっきりしたので、今日は会社でずっとやろうと思っていたことができました。
自分の弱点である、技術的な資料づくりをやっと始めることができたのです。らむねさんのおかげです。ありがとうございました。
それから、今日、別の部下と話をして尋ねたところ、ドイツでは、「同僚のように親しみのある上司」という意味で、褒め言葉になると言ってもらえました。一件落着です。お騒がせしてすいませんでした。
欧米人は仕事では上下関係はありますけどキリスト教国が土台となってるのかプライベートや仕事を離れると仕事の話はしないし人のことは話題にしないし見習うことはたくさんあります。お酒の席でも飲めない人のへの気の使い用は日本人以上です。わたしも大使館のパーティに行き驚きました。大使が初めての人や口数の少ない人までに通訳を通じて声かけたり日本では考えられない風景でした。
はなさん、コメントありがとうございます。
私も、ドイツ人は、プライベートでは、仕事の話を一切しないので、すごいなあーって思っていました。例えば、同じ日に上司から仕事のことで小言をもらったのに、夜の会席の場では、その話は一切なくて、おしゃべりを純粋に楽しむっていう感じです。
公私の切り替えがちゃんと出来ているということなんでしょうね。
>部下が満足して仕事をしてくれているのか気になっているというのもあるし、部下とのコミュニケーションが大切とも思っている。しかし、一番の理由は、自分に自信がないのだ。
この気持ち、ものすごくよくわかります。
私もまさにそうです。昔も今も。
元々人の上に立つタイプではない私が、起業してスタッフをまとめて、その際、スタッフ達が満足しているのか気になっていて、そして自分に自信がありませんでした。
このエントリーとそれにつづくらむねさんのコメントを読んで、自分に足りないものがよくわかりました。親と一緒、この考えはすばらしいです。
そして、理想の上司像、について明確にイメージすることが初めて出来ました。
ありがとうございました。
私の子供は大学生ですけど今の子供たちの話を聞いてると私たちの時代よりはストレートに意見を言えるようです。私の時代はまだ言えないことが多く我慢でしたけどいまの日本では少しづつくづれかけているようです。わたしはフランス系の修道院(マリアの宣教者フランシスコ修道院)の病院で仕事をしてたこともありドイツにも修道院もありドイツ人のシスターもいました。中国で宣教していて迫害で日本にきてました。私は地方の出身ですけど外人と話すことも多く実家の近所にはアメリカ空軍をリタイアした人や子供さん4人中3人アメリカ人と結婚してる家族もいてよく遊びに行きました。20年以上前の話ですけどわたしも遊びにいく度 学ぶことはあるし料理も習い今でも時々作ります。イエスとノーが言えるということは日本人に欠けてるところです。言えないと損することが多く子供には小さいころから言い聞かせてます。
みほっちさん、コメントありがとうございます。
私の自信がない気持ちをわかってくださって、ありがとうございます。完璧でありたいと願っているのに、完璧でない自分がいて、その完璧でない自分をそのまま受け入れられたら楽になれるのに、受け入れられなくて、じれってたくて、情けなくて、でもすぐに完璧になれなくて、、、、。
自分の理想の上司像に近づけるように、お互いに頑張りましょうね。
それから、はなさん、またまたコメントをありがとうございます。お話から、いろんな外国の方と接してこられたようですね。おみそれいたします。
私の同僚も様々で、ドイツ人、スペイン人、チェコ人。過去には、フランス人やインド人もいました。本当にお国柄が出ておもしろいですよね。
日本人はイエスとノーが言えないことが多いですが、でも人との絆で、あいまいにした方がいい場合もあると私は思っていますので、グレイの部分があってもいいのではないでしょうか。もちろん、場合にもよりけりですが、、、。
そのときそのときで、イエス・ノー・あいまいを選択すれば良いような気がします。
以前から「ディレクター」として様々な職種の人をまとめていましたが、ここ数年、本格的に部下を持つ事になり、色々と悩む事も増えました。
私がいる制作チームは専門職の集まりなので、部下はそれぞれ私が知らない知識のプロです。そんな中で威厳を持つなんて無理なので、まず人として信頼してもらいたいと思っていました。
結果、その方がずっとスムーズに仕事も進みますし。
そんな私から見ると
>「上司というよりは同僚という感じ」
って最高の褒め言葉です。
権限で言う事を聞かせる事は出来ても、親しみを持たせるなんて無理ですから。
自分自身も部下として、威厳のある人よりも同僚と同じ位親近感を感じられる人のために、働きたいです。
小梅さん、コメントありがとうございます。
>「上司というよりは同僚という感じ」
って最高の褒め言葉です。
↑とっても嬉しいです。日本人の女性で、それも同じ立場の人から、そう言ってもらえて、本当に感激しています。
これからも部下の気持ちを考えながら、頑張っていきたいと思います。