一度、ドイツ人の同僚から、こんなことを言われた。
「みどりって、本当によくダンケを言ってるわよねー。めずらしい、、」
「ダンケ」とは、日本語で「ありがとう」という意味になる。それまで、あまり意識したことがなかった感謝の気持ちだったが、今またふとそのときの同僚の言葉が思い出された。
なぜなら、人間関係を潤す言葉の一つが、この「ダンケ」だからである。
私は娘が一歳のときに、ドイツの保育園に預けて、仕事に復帰した。保育園の保母さんは二人いて、どちらも優しくて有能だった。一人がベテラン20年の保母さんで、娘が2歳になったとき、こんなことを言われた。
「あなたはちゃんと自分の境界線の基準を持っていますか?子供に【していいこと】と【してはいけないこと】の境界線を引いていますか?でないと、あとで大変なことになりますよ」
私はこのとき、人にはいろんな事情があって、朝忙しいときに、子供の要求どおりにしなければ、時間に間に合わなくなることがあるんですよ、、と、内心思いながら、
「貴重なアドバイスをありがとうございます。がんばって境界線を引いてみます」と答えた。
この先生とは、その後、いろんな話をするようになり、育児のアドバイスも受けるようになった。私があのとき、彼女の助言をちゃんと受け止めて、「ありがとう」と感謝の気持ちを表したからだと思っている。
幼稚園の先生に対しても、感謝の気持ちをストレートに表すことにしている。もちろん、職場でも同じである。上司、部下、同僚関係なく、何かをしてもらったり、何かを依頼するときは、いつも「ダンケ」を伝えるようにしている。
感謝されて嬉しくない人間はいないはず。「ダンケ」は私にとって、万能な魔法の言葉である。
日本人に比べると外国人は、ありがとうの言葉が自然に言えるようです。
キリスト教では、感謝を忘れずにとよく言いますけど買い物の後に言える人は日本人は少ないのに スーパーでレジーの後 サンキュウーと聞こえるかと思うと欧米人です。
25年前 修道院の病院で仕事してる時に ドイツ人の大学教授の話があるので若い人向けなのでと言われ聞いてると 良い事 悪い事は家庭で教えましょう。
子どもがある年齢にくれば考えて分かることでは、ありません教える時期を逃すと これから大変なことが 起きるでしょうし幼児期の子供のしつけは大事ですよと教えられ私も子供を育てるのに参考になりました。
ドイツの家庭でのことを話しただけだと後でお話されましたけど、その当時地方では、ドイツ人の大学教授の教育の話を聞くことがないので 友人からはとても羨ましがられました
はなさん、コメントありがとうございます。
本当にそうなんですよね。「子供は自分で境界線を引くことができないのだから、親がしっかりと境界線がどこなのか教えないといけない。それも小さいうちから始めないとだめです」と、ドイツ人の教育者にコンコンと言われました。
私はそんなドイツ人が大好きです。日本人の教育者の方もそうあるべきなのではって思いました。
社会心理学を日本で初めて教えていた一ツ橋大学の 故南 博先生の奥様から子供には、良い事悪い事は、親が教えることが大切だけど 今の親たちは教えないからとんでもない子供が多いのではなさんは、そういうことにならない様に教えなさいと言われたばかりでした。
子供が小学校4年生の時に 良い事 悪い事は、教えなくても子供たちは、考えることが出来るから子供に任せましょうと言う先生が言われたので
私と帰国子女の親で言い合いになり私はある程度までは親が教えることだしと言うと 私の家庭では、教えてなくても 真面目な子供だと言われるので この先生は話にならないと思い 区役所で話すると教育担当の係りも驚いてました。
それから その先生は子供に任せると言うことを言わなくなりました。
みどりさんの住んでいる ドイツは幼稚園の先生が教えてくれるし うらやましい限りです。
私が25年前 お話を聞いたドイツ人の先生の話は 本当だったんですね。
ありがとうございました。
はなさん、またまたコメントありがとうございます。
今、ちょうどはなさんのことを考えていたので、コメントが入ってきて、とても嬉しく思っています。
そうなんですよ。はなさんが25年前にお話を聞かれたドイツ人の先生がおっしゃったことは、本当だったんですよ。
これからも、はなさんがご存知なドイツ人やドイツのお話を聞かせてくださいね。
私が 仕事していた修道院は、130年前にハンセン氏病のために創立された施設で 幼稚園 総合病院 老人ホーム 看護学校 親が養育出来ない子供の施設がありました。
幼稚園は、30年以上前にモンテッソリーの教育 障害者の子供たちの受け入れ 働く親のための延長保育を取り入れた幼稚園でした。その当時はモンテッソリーを 教えるのはドイツ人でしたので話を聞くことが出来たのです。ドイツ人の話は人数が少ないと 気の毒だからということで聞きにいきました。
その先生は、良い事 悪い事を教えること 人の話を聞く耳を持つこと 自分の目で見ることは、家庭の教育だと言われました。欧米人の先生が来ると よく話を聞くことには感心してました。 一言でも誰にでも声をかけてくれるし 私には、ためになることが多かったように 思えます。
人の話は100パーセントは、聞かなくても為になるようなことを 取り入れる事だしそれには練習か訓練 経験かもしれません。聞いてる人によってはドイツのように出来ないと言ってた人もいましたけど 少しでも取り入れればよいことです。
幼稚園は、前の園長の時に定員が集まらなく閉園になり掛けたこともありましたけど、園長がかわり 障害者を受け入れるようになり 園長先生が常に子供たちと 一緒にいるし子供をよく見てるし
子供の話も聞くと言うことで 口コミで広がり 遠方からの人も多く来ていました。 障害者を受け入れるようにしたのは、障害を持つお母様が幼稚園の近くに住んでるのに 遠い所まで子供を連れて行くのを見て始めたことで 最初は、反対も多く大変だったようです。
車椅子の子供や全盲の子供もいましたけど 子供たちで 面倒|みたりしてました。小さい子供の教育は大事で 最初が肝心とよく保護者に話をしてました。
ある日の夕方 突然 ひげぼうぼうの外人が来て泊めてくださいと言ってました。ドイツ人でした。DRはドイツ語ですから お話してたら ホテルに行っても 言葉が通じないので 困り果てて歩いていたら 十字架が見えたので 声をかけてみたと話しをしてました。ドイツ人のシスターも3人いましたので 泊めることになり 長い間滞在してました。お礼に クリスマス イースターになるとドイツ製で木彫りの最後の晩餐や聖マリアが 送られてきました。
その当時は、外国製が珍しいときで 私もほしいなと思い見てました。