●現在も入院中
ソウウツの父と娘の私(1)~過去日記より~を書いてから、すでに1年半以上経過していますが、実父は未だ入院中であり、昨年生まれた3人目の息子は、まだ会わせてもいません。
実家より車で15分ほどの病院に入院しているので、帰省時には会わせやすい距離ではあります。
でも、今年の夏、2年半ぶりに子連れで帰省した際は、行くかどうか迷いましたが、結局行きませんでした。いえ、行けませんでした。
何より私が父に会うのが怖い、んですよね。
心の準備ができてない、というか。
父そのものに会う(今どうしているの?精神科の病院に入院して、どう変わったの?治療の成果は?を知る)こと自体、というより、むしろ自分にとって辛いことなので、判断することを先延ばしにしている、と言うほうが正しいかもしれません。
●ウツ持ちの父を持つ娘はどう思っていたのか
ソウウツの父と娘の私(1)~過去日記より~の日記を書いた後、友人たちの反応で「苦労したんだね」というのがありました。
でも、当時、苦労してるとはまったく思ってなかったんですね。
多少なりとも家庭でこういう経験をした方は、わかると思うんですけど「当事者にとっては、それが日常なので、淡々と日々は過ぎていく」だけで。
他人と比較して、はじめて「あれ?」と感じる、というか。
毎日、寝るかテレビを見てるか、ぐらいで、実質働いてない父親だったわけですけど、自営業だったのでなんとか収入もあり、年の離れた姉2人がすでに社会人になっていたタイミングでの大学受験で、お金のかかる芸術系の4年私立大学に行かせてもらったりしつつ、で、今の私があるわけで。
だから、「父親の存在が極端に薄い家庭」っていうぐらいでしょうか?
「実家ってトラブルを抱えた家だったのね!」としみじみと実感したのは、実は結婚してからですし(^_^;)
●子どもとの関係、オットとの関係
自分の体験が、いかに自分に影響しているのか?していたのか?が、じわじわ来たのは、子ども達を自然と遊びに連れ出してるダンナをみて「あぁ、普通はこうなんだ」と、ちょっと自分の子どもがうらやましく感じた瞬間、でした。(逆に言うと、そういう瞬間しか意識しない、とも言えるのですが)
うちは、オットが結構厳しいタイプで、ちょっと間違ったらモラハラか?と思う時もあるんですが、同い年夫婦なのに、精神的にしっかりしているオットと一緒に生活していて、子どもと同列でしかられたり(ちゃんと机の上を片付けろ!、とか、そういうレベルですよ……苦笑)して、うぅっ!となったりするときも、私は父にしかられる体験が皆無だったので、今頃追体験をしているのかも、と思うことがあります。
よく、「オットが子どもっぽいので、うちは子どもが○人(実際のこども+1人)なのよ~」といわれるお母さんがいらっしゃいますが、うちのオットからすれば「うちはヨメ含めて、こどもが4人」と言いたい心境だろうなー、と(笑)
思い返せば、父の発病以降、渦中の時期は、私よりも相当深刻な事情を抱えた親しい友達もいて、むしろ私はその子を守ることに一生懸命だったんですよね。
でも、所詮、目の前の問題から目を背けていただけなのかも、と、今書きながら思ったりもします。
●これから
現在、月に1度程度、病院へお見舞いに行くのは、実母と同居の長女夫婦が担当してくれているのですが、問題は退院後どうするのか、ということ。
実母は、今も暴力を受けたときの恐怖感があり、仮に実父が退院せざる得なくなっても、一緒に住む気にはなれない、といいます。
実母は自身が足の手術で精神的にも肉体的にも自分のことで精一杯。
どうしても、受け入れられない実母の味方をしてしまう娘3人。
ずっと病院にいる実父を思うと、つらいです。
閉じ込めているのも同然ですから。
歌うことが大好きで、私にいろんな歌を教えてくれた父。
自分のしたいことを親に押さえつけられ、もがいて、父親(私の祖父)が亡くなった後タガが外れて病気になってしまった父。
たぶん、娘3人の中で、一番父と時間を過ごしたのは、私ではないか、と思います。
病気しながらも、かわいがってくれているな、という気持ちもありましたし。
大人になって母になった私からは、「あなたは確かに弱かった。もっと早く弱音を吐いてもよかったんだよ。だって、父親とは違うんだから」と、若かりしころの父に、一声かけてあげたい。
そして、祖父亡き後も、締め付け続けた祖母(存命です。もうすぐ100歳!)に対して、もっと父のために、何か働きかけてあげればよかった、とも。
今、棚上げにしている実父の退院問題は、そのうち現実になるでしょう。
私にできることは何だろうか?
今は、正直いってわかりません。
ただ、言えることは、もう、過去には戻れない。
泣いていた小さな私の取った行動、耐えた母の行動、そして、病んでしまった父の行動。
私ができることは、今、私の生活をしっかりと営んで、自分の子どもたちやオット、義父と向き合うことしか、ないのかな、と。(いえ、それがしっかり出来てないから問題なんですけどねー(^_^;)
最後に、(1)冒頭の繰り返しになりますが、
周囲に、ウツ傾向が見られる方がいらしたら、どうか、長期化する前に、そしてウツの後にやってくる(であろう)ソウで本人ならずとも、家族が心身ともに傷つく前に、どうか、適切な治療(カウンセリング・投薬・診療)を!!
長期化することで、治る病気も治りません。
きっかけを失う前に。
どうしようもなくなる前に。
どうか、一歩踏み出して!
と、切に願う、私でした。
この記事をきっかけにACに付いて調べると、現在うつの夫に当てはまることがいっぱいありました。来週、夫の主治医に相談しに行こうと思っていたのですが、「もしかしたらACかも・・・」ということを頭に入れて(あくまでも頭に入れて)、相談してみます。夫は、両親とのことを主治医に言ってないようなので。ただ単に「どうしたらいいの??」と先生に会いに行くいつもよりも違ったものが得られるかもしれません。
ゆうこさん、本当にありがとうございました。
20年も前からの病気とは、ゆうこさんご家族もとても辛い事がたくさんあったでしょうね。気軽にコメント出来ないのですが、一つ思ったのは「お母様は幸せだな」という事です。
実は最近、母の従姉妹のダンナさん(75歳)が病気になりまして。最初はアルツハイマーとの診断で入院してましたが、全く薬が効かず、半年以上経ってから「どうやら統合失調症らしい」と。
昔から相当ヒステリックなおじさんで、その結果、どちらの兄弟とも絶縁。でもそのお二人はお子さんが居ないのです。なので、本来は助けるはずのご自分の兄弟たちにも完全に見捨てられてしまい、全て奥さん(母の従姉妹)がやる事に。
けれども、プロである病院の先生がキレて「退院してくれ!!」と言われる程、言葉の暴力がひどい方なので、おばさんももう近づきたくないというのが本音。でも家族は自分しか居ないので、様々な判断や手続きやら、自分がやるしか無い。
よく「子供が居たら・・・」と泣いているそうです。(子供はずっと欲しくてたまらなかったそうです)
結局今、そのおじさんの入院関係の手続きやら病院へ色々持っていくのは、私の母がやっています。娘の私から見たら「え?」と思うのですが。
話がずいぶんそれてしまいましたが、ゆうこさんのお母様は、3人娘がしっかり守って、お母様にとって最善の方法を考えてくれる環境というのはとても幸せだと思います。病院は確かに、いつまでも入院はさせてはくれないので、いつか色々決定しなければならない時が来ますが、家族みんなで力を合わせて最善の方法が見つかる事を心より願っています。
私の実父も数年前、うつ病で入院しました。
退院後も、薬は毎日飲み続けているようです。
幸い、躁はないようですが、やはり父自身が再発を恐れて余裕がないのか、うつ症状は続いているのか、元々の性格からか、母はかなり大変な思いをしているようです。
私は離れて暮らしているのですが、3年も帰省していません。大きな理由のひとつが、そういう父を見たくない、というのがあります。また、そういう状態なので、母も「帰っておいで」とは言わなくなりましたし。
でもこんなことで親に顔を見せないのは、本当に自分勝手で親不孝なことだと思います。いつまで逃げているんだ!と自分に腹がたちます。母や近くに住む私の兄弟にまかせっきりで申し訳なく思うのですが、向き合えずにいます。
でも、ゆうこさんのエントリーで、ちょっときっかけをもらえたような、そんな感じがします。
切実ですよね。
うちは、一時父のDVで母がうつになりました。母はなかなか私にも相談できず、ずいぶん辛かったようです。
今も言葉の暴力はすごいのですが、手を上げることはまれになったようで、小康状態。
自分の精神状態が悪化するのもつらいですが、家族の精神状態の悪化は、自分でもなかなかどうにもできないし、正直、親となると世帯も違うので、できるだけ顔をあわせないという策をとらざるをえないのが辛いところですよね。
ただ、施設に預けることの後ろめたさだけからは解放されてくださいね。専門家にしかできない距離のとり方がありますから。
ユウコさんの記事、素直に涙しながら読んでいました。
現在形だったのですね。
うまい言葉が見つからないのですが、ご家族にとっていい方向に進まれる事を願っています。。
鬱病と躁鬱病は違う病気なので、そこを混同されるような書き方は避けて頂きたかったです。