8/10
その日は、娘の第一志望の高校の説明会の日でした。B大学病院に行く日になってしまったので説明会には行けないなと思いました。
6月にA病院に入院した時は、血液検査の結果、即入院となりました。今回もそんな事があるかもしれない。大学病院って「検査入院」ってこともあるし・・・と心の中で思っていたので、娘には内緒でこっそり入院の準備をして行きました。A病院は家のすぐ近くですが、B病院は小一時間かかるからです。
この一週間だけ塾がお休みだったので、夏休みにどこかに行こうと私も夫もお休みを取っていました。受験生なので「旅行」には行きませんが都内のホテルにでも行こうと思って取っていたお休みでした。
B大学病院で診察を受け、これからする検査の説明を受けました。1つだけここでは出来ない検査があるので、それ以外をここでして、残る1つを別の病院で受けるか、今日は何もしないで帰り、その別病院で全部検査を受けるか・・・どうしますか?と聞かれました。
せっかく来たので、出来る検査はここでしてもらう事にしました。今日出来る検査は血液検査だけで、MRIと筋電図の予約を取りました。
先生の話しぶりだと「重病感」はあまり感じられず、血液だけ採って、あっさりと午前中に病院を出る事が出来ました。
入院する事もなく早く終わったので、病院のすぐ近くの市民ホールで行われる高校の説明会にも参加出来るので「よかったね!」と言いながらファミレスでご飯を食べました。さて、説明会に行くか・・・と思っていると病院から電話があり「数値が9000を越えているので、一刻も早くいろいろな検査をした方がいいと思いますので今日入院出来ますか?」という事でした。
「でも、これから高校の説明会なのでそれが終わってからでいいですか?」とのん気な事を言い、とりあえずOKしてもらいました。
でも骨格筋だから安心というわけではありませんでした。
入院から二日後に、私一人が先生に呼ばれ「いろんな可能性をつぶして行って、考えられるのは○○(病名)。現在の医学では治療法がありません。命の期限も考える必要があります。」と伝えられました。
頭をがーんと殴られたような気持ち、とか、大泣きするとか、そんな事になるかと思いましたが、それとは違う「まっしろ」な感じでした。娘の前では明るくしなければいけない。家に帰るまではちゃんとしなければ。車を運転するんだし。
夫に告げて二人で泣きました。「まだ14歳なのに。」「なにも悪いことしてないのに。」「ベッドの上でも一生懸命宿題やっているのに。」「ちゃんと歩いているのに。」・・・私達二人は、どうにか毎日普通に生活し、仕事もして、病院では笑顔で過ごし、夜になると二人で泣きながら寝ました。お休みの日には、泣きながら箱根神社にお参りしました。不妊の末、結婚11年目に授かった娘です。どうしてですか?神様。
結局、B大学病院には10日間入院しました。壊れた筋肉が腎臓に詰まらないように大量の点滴をして尿を出す事くらいしかしていませんでした。その点滴をはずしても数値が上がらない事を確認し退院する事になりました。決して治ったから退院するわけではありません。
先生からは「うちの病院は残念ながら筋肉の研究では日本一ではありません。○○(病名)で間違いないとは思うけれど、紹介状を書きますので筋肉で日本一のC病院で最終的な判断をしてもらってください。」と言われました。
B大学病院に最初に行った時に「ひとつ出来ない検査があります。」と言われた「筋生検(筋肉を少し切り取り、何の病気かを診断する)」という検査を、C病院でしてもらい、最終的な診断をしてもらう事になりました。
娘がとっても楽しみにしていた夏休みの終わりの花火大会にも浴衣を来て出かけ楽しそうでした。
反面、私も娘もこれから始まる新学期がとても不安でした。すでに重いものは持てず、髪の毛は自分で洗う事が出来なくなっていました。腕が上がらないので、着替えも時間がかかるようになりました。
最初は、私が手伝うと「やらなくなると出来なくなっちゃうから手伝わないでっ!あまやかさないでっ!」と怒っていましたが、そのうち黙ってされるがままになりました。時々「もうやだっ!こんなあかちゃんみたいな生活!」とかんしゃくを起こす事がありました。
朝は毎日送る事にしました。仕事が休みの日は迎えに行きました。その他はお友達に「重いものが持てないから、カバンを持ってあげてくれるー?うちの方を回って一緒に帰って来てくれるとうれしいな〜。」とお願いしておきました。
もちろん学校の先生にも話しておきました。担任・体育の先生・養護の先生・教頭先生と話し合いをして、B大学病院から言われた病名も告げました。先生達は一様に気の毒そうでがっかりな表情でした。(「めんどくさくてがっかり」と言う意味ではなく「なんてかわいそうな子なんだ!とっても頑張り屋な子なのに」という意味あい)
10/6が来るまでに、日に日に娘の状態は悪くなりました。「足が引っ張られるような感じがして階段がつらい」「歩くのがつらい」と言うようになりました。B大学病院で言われた病気は「上半身の病気」だったので、足に症状が出るのはおかしい。動かないでいるからだと思い、心を鬼にして「動かないでいると歩けなくなっちゃうよ。リビングをあちこち歩きなさい。」と言いました。娘は泣きそうになりながらも頑張って歩いていましたが「さくらは歩けけなくなるかもしれない。」と毎日言っていました。
かわいそうな日々でした。
座ると立てなくなり、寝ると起き上がれなくなる。お風呂でも「座ると立てなくなるから」と立ったままで、私がシャワーで洗ってあげている状態でした。
私は、早めに着いたので少しまわりを歩いてみると駐車場のクローバーの中から四つ葉のものが見つかりました。なんかいい予感。今日、いい事が起こるかもしれない。
C病院は新しい建物に引っ越したばかり、とてもきれいでした。中庭があって建物の中に光があふれる造りになっていました。小児科の診察室もとても明るくてかわいいところでした。予約した先生の診察室のマークが「かえる」でした。我が家は「かえる」(実物のかえるじゃなくて、キャラクターとしてのかえる)が大好きなので、ここでもいい予感がしました。
先生は、問診だけで「うーん、これは○○ではないですね。」とB大学病院で言われた病名をあっさり否定。え゛ーっっ、まじですか?「今のお話から判断すると、●●ではないかと思われます。それを判断するには筋生検という手術が必要です。急いでやった方がいい。もし今日入院出来ればあさって手術出来ます。今日予約だけして帰ると筋生検は12月になります。」と言われ「入院出来ます!します!」と即答。12月までこのままなにもせずに待つだけなんてありえない。無理。この時、血液検査の数値は20375という驚異的な高さになっていました。(正常値は30〜160)
そして●●は治る病気との事!一気に天にも昇る気持ちになりました。まだ決定したわけではないけれど。
本当は次の日から二学期の中間テストだったんですけど。夫も「テストより体の方が大事だから」と。
もちろん、私はこっそり入院の準備をして来ました。家から、空いてて2時間かかる病院だから。「おかあさん、付き添えますか?」と聞かれたので「もちろんです!」と答えました。
10月6日、7日と2日間で、手術前にしておかなければならない検査を立て続けにたくさんしました。娘は不安を感じながらも前向きに頑張りました。ここの病院に来てから安心して眠れているようでした。
「さくらの病気はいったいなんなの?」「治るの?」と何度となく詰め寄られて答えに詰まっていた私達です。私は嘘はつきたくない。娘も9月で15歳になったし、こどもだましの嘘も見破られるだろう。それに「嘘」だってわかった時に攻められるのは私。「おかあさんのうそつき!治るって言ったのに!」って言われるのは目に見えてる。
だから「なんの病気かはB大学病院でも判断に困ってるみたい。だから筋肉の病気では日本一のC病院で診てもらうんだよ。B大でもわからない病気だっていうからちょっとめんどうかもね。でも、C病院ならわかるだろうし、B大で治せなくてもC病院ならいい薬があるかもしれないからさ。」と説明していました。
B大の先生からは「C病院なら○○の治験薬も出してもらえると思うから」と言われていたので、その薬が効くといいなあと思っていました。たとえ治らなくても、病気の進行を遅らせたり、痛みを和らげたりする事が出来たらずいぶんラクになるだろうなと考えていました。どうか治験薬が効きますように。
私の住んでいる地域では、県立A病院でだいたいの病気は治ります。私の母は、乳がんもクモ膜下出血もA病院でお世話になり、どちらも無事に治りました。A病院でダメな時は、たいていの人はB大学病院にお世話になります。この周辺ではB大の信頼度は抜群です。「B大でそう言われたんなら間違いないね。」というのが世間一般の常識です。
この日、すぐに母に電話しました。「○○じゃないみたい。治るって!」と。後から母に聞いたら「さくらちゃんが病気になってから、初めてこの日、朝までぐっすり眠れた」と言っていました。心配かけてごめんね。
ずっとずっとモヤモヤしていた事が、この日クリアになった気がしました。病名が明らかになり、そして治療が出来るとわかった日。
でも、その病気は「難病指定」で、年間発病率は人口100万あたり2〜5人という非常にめずらしい病気なんですけどね。
毎晩毎晩ネットで検索に検索を重ねていました。「○○と診断されると治療法がないから病院に行かなくなる人が多いけど、歩けるうちは半年に一度、歩けなくなってからも一年に一度は病院に行った方がいい」というような事が書かれていました。B大の診断だけを信じて、C病院に行かなかったら、今頃どうなっていたかわかりません。明らかに寝たきりの生活だったでしょう。
B大の誤診は衝撃だったけど、B大を悪く言うつもりはまったくありません。初診で行った時、脳と心臓をいち早く検査していただいたし、最終的な病名の診断も「専門の病院で診断してもらってほしい」と紹介状を書いてもらったし。
「大学病院」って、一般人からしたら何でもわかる万能の病院のように思っていますが、今回、専門外の医師だとこんなにわからない事が多いのだという事がわかってびっくりしました。もちろん素人にはどこの病院が何に強いのかはわからないので、紹介状を書いてもらって何軒か行く事になってしまいますが。どの医師も患者を治そうという気持ちでやっていらっしゃるので信じて任せる事も大切。でも、母親の勘も大切です。そして、セカンドオピニオンも大切。何軒回っても診断は同じで、不幸にも「治らない」と宣言されてしまう場合もあるとは思いますが、納得が行くまで説明を聞く事もとても大切な事だと思いました。
こむぎさん、驚きました、本当に大変でしたね。どれだけ精神的にも大変だったかお察しします。
でもエントリーできるということはきっと良い方向になられたんでしょうね。そう祈って次も読ませてもらいますね。この記事はきっと同じような悩みをかかえる誰かの役にたつと思います。
涙なしでは読めませんでした。
本当に本当に辛かったですね。
それを乗り越えてこられたこむぎさん一家・・・
元気に高校へ通うさくらちゃんの様子が今更ながら嬉しいことです。
リオさん、ちゅうりっぷさん、コメントありがとうございます。
これからシリーズでぼちぼち書きますので最終章まで見届けてください。こむぎ、がんばりますっ!
こむぎさん、ほんとうにほんとうによかった。これを書けるまでになったということが、ほんとうによかったです。ありがとうございます。
このシリーズが、たくさんのお母さん方をどれだけ勇気づけるかと、心から感謝いたします。
栃木県に住んでいる、43歳の母です。
うちの息子がただ今、中3でついこの間 悪性の腫瘍が見つかり手術をした所です。
しかし、リンパ接に転移があったため来月に東京の病院で切除手術します。
その後は、抗がん剤による治療が6か月~10か月あるみたいです。ちょうどこれから受験だというのに試験の会場へ行くのが厳しいみたいで、親子共々意気消沈しております。
そんな時にこちらのページにたどり着きました。
まだ少ししか読んでませんが、こむぎさんの気持ちが共感でき、これからの参考にさせていただきたいです。
ぷちあんじゅさん
コメントありがとうございました。
うちも一番最初に具合が悪くなったのが中三の六月でした。これから受験なのに・・・ととても不安になりますよね。
受験の事は、とにかく先まわりして、早めに学校の先生に希望を伝えてご相談する事をおすすめいたします。
病気の事は不安な事はどんな事でも先生に相談し、信頼してすすめて行くのがよいと思います。
医学は進歩しています。手術と治療がうまく行く事を心よりお祈りしております。