ワーキングマザースタイル子どもが重い病気にかかった時・その3・「入院と付添と仕事」




2011年05月01日

子どもが重い病気にかかった時・その3・「入院と付添と仕事」

Posted by 湯河原こむぎ

10/6から入院した国立C病院は武蔵野方面にあり、広大な敷地の中に病院の他に研究施設や働いている人の寮や森もあります。

「おかあさん、付き添えますか?」と聞かれ「はい!」と即答した私。もちろん付き添います。手術ですもの。ワーキングマザーにとって「子どもの病気」と「仕事」は双璧をなす心配事です。「心配」の種類はまったく違いますが、どちらも大きな問題ですよね。

こんな事もあろうかと初診の10/6と次の日の7日はお休みをとっておきました。


私は現在、月に12日出勤の派遣です。同じ係に二人の派遣がいて、どちらかが必ず出勤する・・・というスタイルになっています。前月中旬までに「この日だけは出られない日」という最低限の希望を申請しておき、あとは課長が出勤日を決めます。

8月初旬にBOSSが変わったので、B大から病名を言われた時に病気の事は伝えておきました。これから先も通院や入院で仕事を休まなければならない事があると思うので病名も伝えました。「筋生検を受けるまでは確定されないのですが、B大の診断では○○と言われています。」と私が言った時「○○!まさに不治の病じゃん。」と言われてびっくり。なんなの、この人と思いました。その言い方って・・・(∨∨)

でも「なにをおいても娘さんを優先させてください。」と言ってくれました。

直属上司の課長には「筋肉が壊れる病気で治らないと言われています。」と伝えてありました。



6、7日はお休みをとっていましたが、手術のため8日も休まなければならないので、6日にすぐに会社に連絡を入れました。「C病院に行ってそのまま入院、8日が手術」と告げると課長は(そんなに重病だったのか・・・と)絶句していました。「治らないと言われていたけれど、どうやら治る病気だったらしい。手術は病気を確定するために必要な手術です。」と説明しました。手術後は9、10、11日と三連休だったのでひとまず安心。課長には「手術が終わったらまた電話を入れます。」と伝えました。

筋生検は上腕の筋肉を2センチくらい切り取るだけの簡単な手術です。これ自体はすぐに終わります。娘は怖がっていましたが、ほんとうにすぐに終わりました。

この切り取った筋肉を薄く切っていろいろな試薬などで検査し、病名が確定されます。

手術の日に先生から「ステロイドを使った治療を始めます。」と説明を受けました。飲み薬だけでやって行くと同じ量を摂るにも時間がかかるので、毎日の飲み薬に加えて、「ステロイドパルス」と言って大量のステロイドを三日間点滴で入れる方法を取ります、との事でした。連休明けの12、13、14日で点滴する事になりました。

「ステロイド」と効くと「副作用が怖い薬」として認識されていると思います。私もそうでした。でも、副作用があったとしても、やはりすごく効く薬であるので、先生の説明をよく聞いて、やはりこれを使うしかないのだ・・・と納得し使うことになりました。副作用はあとから出て来るもので、点滴中はなんの症状も起こらないとの事でした。でもやはり心配なのでパルス中はついていてあげたいと思い、課長に電話を入れておきました。

パルス2日目にとんでもない事が起こりました。トイレに行こうと立ち上がったら急に力が抜けてその場に座り込んでしまいました。床に座るともう立ち上がれません。私が頑張って立たせようとしても点滴もついているのでどうにも出来ず看護師さんを呼び、二人がかりでベッドに座らせました。

10/13・・この日から娘はまったく歩けなくなりました。

私はステロイドのせいではないかと思っていましたが、あとから考えると、この時あたりからの一ヶ月が一番の急性期(一番悪くなる時期)でした。ステロイドはよく効いて、一次は20000を越えていた血液の数値も三日間飲み薬を飲んだ10/12(パルス前)には10735、パルス後の10/18には6845と劇的に減少していました。

本人の感覚としては「手を握ったり開いたりがしやすくなった」「首をひねって左右を見るのがやりやすくなった」という感じらしい。

ただ、私から見ると目だった変化はなく、10/13以来、娘はまったくもって動けなくなり、私は「介護」の日々を送ることとなりました。この時に初めて「介護をしている人の本当の大変さ」がわかりました。私は娘だったから出来ましたが(愛情の大きさや体格の面でも)、これが夫の親だったら絶対に出来ないと思いました。←ヒミツにしておいてください・・・^^;



あとから気づいたのですが、ここの病院は小児科に入院する時、親の付き添いが必須で、どの子にも全員24時間、親が付き添っていました。「付き添います」と言ったその日から、キャンプ用の折りたたみベッドが用意され、子どものベッドの横に置いて毎日そこで寝起きします。なので、基本子どもの世話は全部親がします。

大学病院には若い看護師さんがたくさんいて、毎日何度となく「さくらちゃん、どう?」などと事あるごとに、いや、事がなくてもお部屋に顔を出してくれてゲームの話や学校の話などをして、話し相手になってくれていました。ここは国立病院なので、きっと予算なども少ないのでしょう(←これは単なる憶測ですが)。看護師さんの人数も少ないし、年齢の高い方が多かったです。毎日決まった時間に熱や血圧を測りに来てくれますが、基本、親が付き添っているので、こどもの世話は親がしていました。たとえばMRIに行く時も親と看護師さんと3人で行きます。大学病院では「全部こちらでしますから」と言われ、面会時間ではない時に看護師さんが連れて行ってくれて、すべてやってくれていました。

娘は10/13からまったく歩けなくなったので、トイレもお風呂も全部私が介助する事になりました。まったく足に力が入らないので車椅子での移動。ベッドから車椅子への移動、お風呂に入る時、トイレに行く時、重さ40キロもある等身大の人形のような娘を私の足腰と腕の力だけで移動させるので、毎日がスクワットでした。

この時、娘に出来た事は、車椅子に座らせてテーブルに手をのせてあげれば、食事、字や絵を書くこと、メールする事くらいでした。

寝返りも出来ないので、夜一時間ごとに「おかあさん、こっち向けて」「おかあさん、反対に向けて」と言い、そのたび私は寝ぼけ眼でゴロゴロと娘を動かしていました。

土曜日の朝、夫が病院に来ると、入れ替えに私が家に帰り(週末は渋滞しているので往復で6時間くらいかかる・・トホホ)、3〜4時間家の事をして、夜また戻る。往復にどれだけ時間がかかっても、私には、どうしても「一人になる時間」が必要でした。「介護」から少し離れる時間を持って、いろいろな事を集中して考える時間が必要でした。

夫は土曜日に泊まって日曜日の夜帰るという一週間のくり返しでした。私が家に帰っている間、トイレに行く時は看護師さんに連れて行ってもらいました。娘の話だと「あまり介助になれていなくてヘタクソでごめんね。おかあさん、いつもこれを一人でやってるの?信じられない!大変だね!・・・って言ってたよ。」との事。まぢか。

この頃の私は、一時間ごとの寝返りのための寝不足と、40キロスクワットと、治るって言われたのに見た感じはどんどん悪くなってるじゃん・・・という不安で毎日ヘトヘト。平日の間は夫もいないし、「今日こそ私が倒れてしまうかも」と毎日思いながら、一日一日をどうにか生きていました。



毎週金曜日に会社に電話をし、次の週の見込みや予定を告げていましたが、結局10月いっぱい仕事をお休みしてしまいました。一緒に働いている派遣の友達には電話を、同じ係の社員さんにはメールでこまめに連絡を入れておきました。(あとで書きますが、学校にも毎週電話を入れておきました。塾にも10日ごとくらいに電話をしました。)

あまりにもたくさん休んでしまい、職場のみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。以前「就業規則」を読んだ時、無給ですがけっこう長い期間「介護休暇」というのが取れると書いてあったような気がした(そんな事態になるとは思っていなかったのでよくおぼえていない・・・)ので派遣会社に電話をして詳細を聞いてみることにしました。

職場に毎週電話して「来週も行けません。」と言うより「11月は一ヶ月休みます。」と決まっていた方が職場の人にも迷惑がかからないかなと思ったのと、一ヶ月単位で「サポート」と呼ばれる人を雇う事が出来るので、私が「休みます」と宣言をしておけば代わりの人に来てもらえるかも・・・と考えたからです。

確認してみると「介護休業」(無給で122日間休める)もあるけれど、それ以前に「介護休暇」という有休が5日間取れるよとの事でした。課長に電話してその事を伝えると「有休がまだあるなら先にそれを使ってから介護休暇をとればいいんじゃないの?」と言われました。同じ係の友達に10月出勤表を締めてもらうために電話してその事を伝えると「介護休暇を先に使わなきゃだめよ!有休を全部使い終わった時に介護してるかどうかわからないじゃないの!本当に介護している今使わなきゃっ!私が全部うまく書いておくから心配しないで!」と言ってくれ、介護休暇を使う事が出来ました。



10/25、26、27とステロイドパルス二回目を行ったあと、先生からお話がありました。

いろいろな検査の結果が徐々に出て来ていて、非常にめずらしい抗体がある事がわかりました。その抗体を持つ人は、この●●という病気の人の中に5%くらいしかいないとの事。前回の記事に「この病気の年間発病率は人口100万あたり2〜5人」と書きましたが、その中の5%って・・・。つまりわかりやすく言うと「ほとんどいない」って事じゃん。私はこの時先生の話を聞きながら「今後宝くじを買い続けよう」と心に決めました。そんなめずらしい病気になるなんて、宝くじに当たる方が確率が高いかもと思いました。(そこじゃないだろ)←楽天的。

「その治療をするためにはステロイドだけではなくて「免疫抑制剤」を使った方がいい。ここの病院ではその治療を行っていないので、その治療で日本一の横浜のD大学付属病院に転院したらどうか」・・・との事でした。

もちろん異論があるはずがありません。夫に電話をし「免疫抑制剤の治療が必要で、その治療が出来ないならC病院にいても仕方がない。横浜は自宅から遠いとは言え、県内だし、すぐにでも転院させてもらおう。」と言う事になり、11/4、横浜のD大学付属病院に転院する事になりました。

この時、血液検査の数値は2500まで下がっていました。ステロイドは劇的に効いていました。

この記事が、私の記念すべき300本目の記事のようです(*^^)v



子どもが重い病気にかかった時・その1・「始まり」

子どもが重い病気にかかった時・その2・「病名がわかるまで」



その4・「医療の細分化に驚く」に続く






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