ワーキングマザースタイル子どもが重い病気にかかった時・その10・「この経験から得たもの」




2012年06月15日

子どもが重い病気にかかった時・その10・「この経験から得たもの」

Posted by 湯河原こむぎ

みなさま、このシリーズも10回目。第一回を書き始めたのが去年の4月29日。一年以上が経過してしまいました。今年ももう6月。昨日、娘が「一番最初に具合悪くなってからもう二年だよね〜。」と言いました。娘なりにもいろいろと気になっているのだと思います。

娘が病気になった時。「なぜ、うちの娘が?」と思いました。どうしようかと思いました。悩みました。泣きました。

だけど、意外と答えはシンプルでした。

「この道を歩いて行くしかない。」・・・それしかないんです。難病と言われても。治らないと言われても。長くて障害物だらけの険しい道だけど、その道は一本でまっすぐ続いているのです。

このシリーズ、今回で完結しようと思います。


大学病院は万能ではない。その病気に強い専門の病院に行く事が不可欠。

娘の病気はめずらしく、私たちも今までに聞いた事のない病気だったので、病名がわかるまでに3つの病院を転々としました。大学病院に行けば何でもわかるし、「不治の病」でなければ、どこの大学病院でも治せるものだと思っていました。
その2・「病名がわかるまで」

ところが医療はとても細分化されていて、そういうわけではありませんでした。
その4・「医療の細分化に驚く」

子どもが重い病気と診断された時、その病気に強い専門の病院に行く事が不可欠だと思われます。しかし、たいていの人は通常「重い病気」とは無縁の日々を送っていますので、どこの病院が何に強いかという事を知っている人の方が少ないと思います。インターネットが普及しているとは言え、その選択は素人にはなかなか難しいので現在かかっている病院からの情報が一番信頼出来るのでは・・・と思います。

我が家は、結局めぐりめぐって4番目(すべてかかっていた病院からの紹介)、最後のD大病院にたどり着いた時に、小児科部長の教授から「出来ないとわかったところですぐにこちらによこしてくれたからとてもよかったよ。」と言われた事はその4の記事に書きました。教授の口から「D大でも初めての症例」と言われた時にはビビりましたが。


医療は確実に進歩している。

テレビで旭化成のCMが流れていた時「さくらのやったのきっとこれだね!」と娘が言いました。
昨日まで世界になかったものを。希望をつくろう編

イメージとしては「人工透析」で、「血漿交換」という処置です。血液を体から抜き、いらないもの(抗体や炎症物質)を濾しとったあときれいになった血液を体に戻すというものです。

これを全部で5回(3〜5週間ごとに1回。血液の浄化そのものは1日に2時間程度×3日で1回とカウント。それを計5回。)行いました。血液の浄化自体はなんの苦痛もないのですが、このための前処置がものすごく痛くて、娘はいつもとても嫌がっていました。二股のカテーテル(けっこう長い)をそけい部から体の中に入れ、動かないように縫って固定するのです。我慢してこれをやるたびに、目に見えてどんどんよくなって行きました。

医学の進歩ってすごいな〜と本当に思いました。

最近、お医者さんと話をする機会があり、娘の病気・入院の一部始終を話した時に「難しい病気にかかった事はとても不幸だったと思うけど、今の日本で出来得る最高の治療が受けられたと思うよ。」と言われました。D大病院で治療を受けられた事は本当に不幸中の幸いだったと思いました。

医療は日々進歩しており、数年前には治せなかった病気が、今では治せるようになっています。「D大に入院した」・・・と話した時、友達が「15年前には相当のリスク(後遺症含む)を覚悟して開頭手術をしなければならなかったような脳腫瘍の手術も現在では髪も剃らずに放射線治療で、うまく行けば日帰りで済むほどの進歩をしているよ」と話してくれました。それは彼女自身の経験で、15年前、彼女もD大で命を救われていたのでした。

現在「治らない」とされている病気でも研究が進み特効薬や革新的な治療法が開発されるかもしれません。


世の中には自分より大変な人がいっぱいいる。

娘が病気になった時、特にB大病院で「治らない。余命も考えた方がいい。」と言われてからは「なんて不幸なんだろう。不妊の末やっと出来た子なのに、その子をまた失うなんて・・・」と、自分達が世界で一番不幸だと思い込んでいました。

でも違いました。

いくつもの病院を転々としていると、もっともっと大変な人達がたくさんいる事がわかりました。まだ生まれたばかりの赤ちゃんもいましたし、ママと離れて寝た事もないような小さい子達。関西から横浜の病院に来て入院している方。病気のちびちゃんはもちろんですが、どこかに泊まって毎日病院に来られているのだろう・・・と、親のご苦労・心中も手に取るようにわかるだけにつらいものがありました。

つるつるの頭の子達(たぶん抗がん剤治療のため)、ほっぺがぷくっと膨らんだ子達(ステロイド大量投与の子・・・娘もこの仲間です)、みんな毎日頑張っています。

14歳まで大きな病気もせず元気に育って来た娘。横浜の病院は遠い・・・と言っても県内である私なんか全然大変な部類には入りません。泣きごとなんか言っていられません。あまったれてんじゃねーよ>自分。

同じ病室の子・親同士でも、私は、基本、病名は聞かない事にしていました。「うちは○○なんですよ。」と先方が言われた時だけ、私も病名を言いました。なかよしになったとしても連絡先も聞かない事にしていました。重い病気の子しか入らない病院なので、病名を言いたくないかもしれないし、どっちかがよくなって、どっちかがよくならなかった時もつらいし。もちろん先生や看護師さんも他の子の病名は言わないので、誰がなんの病気で入院していたかほとんど知りませんでした。

同じお部屋で同じ学年のAちゃんは車椅子でしたが、歩く事以外は全部自分で出来て、お洗濯も自分でしていました。看護師さんが「病気は違うんだけどAちゃんも入院して来た時は、まったく寝たきりで動けなかったんだよ。でも、今はあんなに元気になったから、さくらちゃんも大丈夫だよ。」と励ましてくれる事もあったようです。それを聞いた娘は「さくらも早くあのくらいよくなりたい。」と元気をもらっていたようです。Aちゃんのおかあさんとは、よく「卒業式には出たいですねー。」と話していました。(娘は退院して、Aちゃんは一時帰宅で、二人とも念願の卒業式に出る事が出来ました。)

病室の前の廊下を歩行器で歩く練習をしている子を見ると「あの子、昨日はすごくゆっくりしか歩けなかったのに、今日はすごく上手に歩けるようになってるんだよ。さくらも早く歩行器使えるようになりたいな。」と言っていました。

親から離れて病気と闘う子どもたち。言葉は交わさなくてもお互い「あの子も頑張ってるんだから私も頑張ろう」と深いところでわかりあえているのかもしれません。入院で子どもも大きく成長しています。



「ありがとう」の気持ちを伝えたい。

娘が病気になって・・・

娘のまわりに、「本当に一生懸命になってくれる人」がこんなにもたくさんいたんだ・・・という事に気づき、とてもうれしく思いました。

☆どこの病院でも、先生も看護師さんも本当に忙しく、大変なお仕事をきちんとこなされていました。「この人、ほんとやだー」と思うような態度の悪い人もあまりいなくて(「全くいなかった」とは言わない・・・(^^ゞ)、みんなとても親身になって娘の事を考えてくださいましたし、本当に「治そう」という気持ちがひしひしと感じられました。よく病院ドラマにある「白い巨塔」的なギスギスした病院の人間関係を私たちが感じる事もなく、本当に信頼して任せる事が出来ました。毎日毎日「ありがとうございます。」と口にしていました。

☆中三だったので、高校受験のもろもろの問題で、担任の先生、学年主任の先生、保健室の先生にはもちろん、一番お世話になったのはなんと校長先生でした。何校もの高校にご自身で足を運んでくださり娘のために尽力してくださいました。

☆受験する事になった高校の先生方にも大変お世話になりました。入試の時の対応もすばやく的確でしたし、入学後も「一人でなんでも出来る」・・・という状態にはまだまだほど遠く、毎朝私が車で学校まで送って行くと、体育の先生が校門で待っていてくださり、娘の荷物を持って教室までおしゃべりしながら付き合ってくれました。雨の日も風の日も毎日です。二学期に入り、だいぶ元気になった10月。娘が「もう一人で大丈夫です。自分で頑張ってみます。」と体育の先生に言った時「えー、もういいの?淋しくなっちゃうなあ。」と言われたそうです。「学校では俺の事をお父さんと思ってくれ」と言ってくださった先生、本当にありがとうございました。

☆一学期は介助の方が一人ついてくださり、毎日教室移動の時に荷物を持ってくださいました。美術系の科なので画材がいっぱいで重たいのです。28歳のお姉さんで、いろいろと話し相手にもなっていただきました。学校まで迎えに行くと、わざわざ車のところまで重い荷物を運んで来てくださいました。

☆中三の夏休み明け、だんだん体が動かなくなり重いものが持てなくなった娘の荷物を持って、毎日家まで送って来てくれた友達。入院している時に写真や寄せ書きを送ってくれた友達。プリントを届けてくれた友達。メールをくれた友達。退院したあと、何度も家に遊びに来てくれた友達。

病気にならなければ、あらためて気づく事がなかったかもしれない。先生や友達、家族、親族、会社の人たちの優しい気持ち。看護師さん、お医者さんのプロ意識。素晴らしい仕事ぶり。

むすめが病気だった数カ月の間に、病気ではなかった暮らし100年分くらいの「ありがとう」を口にしました。


自分に出来る事で誰かの役に立ちたい・・・と思うようになりました。
退院して4日後に東日本大震災が起きました。未曾有の大惨事でした。病気の時にたくさんの人に助けていただいたので、今度は自分が誰かの役に立ちたいと思いました。

らむねさんの記事を読んで近くの市役所に支援物資を届けました
ワーキングマザースタイルのキラキラ募金プロジェクトに協力しました
☆小梅さんに声をかけていただいた「被災地に絵本を送ろう」に協力しました。
☆和田理恵さんに教わった「ハタチ基金」に登録しました。
☆小梅さんの「あいでつつもうプロジェクト」に協力しました。
☆免許証の裏の臓器提供に記入しました。こんな私のでよかったら内臓から眼まで全部提供いたします。

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無理はせずに出来る事をして行きたいと思いました。
「微力」だとしても「無力」よりはいいと思いました。


★娘との関係。そして家族。

発病時14歳。どんどんひどくなって15歳。
思春期の娘は、とかく親をウザがるものですよね。
我が家は病気になる前から基本なかよしで、娘は隠し事もせずになんでも話してくれていると思います。「一番仲のいい友達」みたいな関係で趣味・嗜好もとても似ています。

私は娘にきちんとした大人になってほしいと思っているので、悪い事をした時や、親としてだまって見過ごす事が出来ない時は、かなり強く叱ります。厳しい親だと思います。
そんな時にはぶつかり合い、娘はまるで「悪魔」のようになって、収集がつかないほどのケンカになる時も多々ありました。
でも、まあ基本なかよしなので、一晩経てば何事もなかったような毎日に戻っていました。

会社でお菓子をもらったりすると「娘にあげよう〜」と大切そうにしまって帰る人がいます。その人達は自分では絶対に食べないんですよ。私はお菓子をいただいたら「わーい!ありがとう〜っ!」とすぐに自分でバリバリ食べちゃって「娘に持って帰ろう」なんて思わないのに。だから「娘を溺愛してる」とか「娘のためなら何でも出来る」とか考えた事もありませんでしたし、そのお菓子を持って帰る人達に比べたら、私は愛情が足りていないのかも・・・と思ったりしていました。上に書いたように衝突する事も何度もありましたし。

だけど。

娘のために出来た。いろんな事が。仕事を休んで一カ月一緒に入院したり、4ヶ月間毎日横浜の病院に通い続けたり。母親のパワーってすごい・・・と自分でもびっくりしました。

入院中、娘は時々文句を言うこともあったし、たまには衝突する事もありましたが、両親がが自分のために一生懸命になってくれているという事を実感し「自分は愛されているのだ」という確信を持てたと思います。もともと「おかあさん、ありがとう」という言葉をよく口にする子でしたが、病気になってからは、特によく口にするようになりました。

私と娘の一番のどん底はC病院での一カ月。「治りますよ」と言われ、喜んだのもつかの間。血液検査の数値は劇的に改善されましたが、娘はどんどん悪くなり、一人で何も出来なくなりました。トイレもお風呂も私の腕力のみでどうにか持ち上げ、なんとか毎日をギリギリで過ごしていました。お風呂でしゃがみこんでしまった娘を持ち上げた時には二人とも裸で、もうほんとに必死でした。「私達が今こんなに大変だって事、神様も絶対にわかってないと思わない?この苦しさはさくらとおかあさんにしかわからないよ。」と口にするほど大変な日々でした。

そんなどん底を乗り越えた私たちは強い!どんな事が起ころうとも、もう怖くはないのだよ。

夫もよく協力してくれました。夫と二人だから頑張れたのだと思います。まあ最近は「あの時はやってくれたのに、なんで今はやらないんだよーっ」と腹の立つ事もしばしばですが・・・(^^ゞ


さいごに

思う事がたくさんありすぎてなかなかまとめる事が出来ませんでした。最初具合が悪くなってからもう丸二年が経ちました。

宇宙探査機はやぶさが感動の帰還を遂げた日、娘は40度近いの熱を出していて「ほら、はやぶさ君が帰って来たよ!見なよ〜!」と言うと、苦しそうに「それ、今見なくちゃいけないの?」と力なく言ってた時は「まったく、この世紀の瞬間を見ないなんて!」とムッとしましたが、その後、こんな事態になるとは想像もしていませんでした。

6月13日が「はやぶさの日」に認定されたとニュースで見ました。私にとっても大きな意味を持つ日でありました。

私のこのエントリーが多くの人の役に立つとは思えないし、こんな大変な思いをする人が世の中から一人もいなくなればいいと思うくらいです。

ただ、何かの困難にぶつかった時、「もうダメかも・・・」と思った時、私の事をちょっと思い出してください。「こむぎよりはましか・・・」と思って元気を出してくださいね。「本当にもうダメ」な時なんてそうそうない・・・と思います。

人はいつも何かしらの不満を持ち、何かを我慢しながら日々を過ごしています。私も義父母との同居や、会社の大嫌いな上司の事とか、めっちゃ小さいところでは毎日夕飯の献立を考えて、夕飯を作ったりする事も「あ゛ーめんどくさい」と思いながら過ごしていました。

だけど、そんな事は本当にとるに足らない事。逆にそれが「しあわせのひとつ」だという事に気付きました。

テストの点が悪くても、志望校に落ちても、試合で負けても、仕事で失敗をしても、失恋しても、悪い事をして先生に親が呼び出されても。自分の力ではどうすることも出来ない病気で動けなくなる事に比べたらはるかにしあわせな出来事です。

また勉強すればいい点採れるだろうし、次は合格できるかもしれないし、一生懸命やれば勝てるかもしれない。仕事だって巻き返せるし、新しい恋も見つかるだろうし、叱られたら反省すればいいし。

朝、「行って来ます」とみんなが元気で出かけ、お腹を空かせて帰って来て、私が作ったそんなにおいしくないかもしれないご飯を食べながら、今日一日の出来事を話して、大声で笑って、そのあと、私がお茶碗を洗って、夫と娘が拭いて片づける。そんな日常は実は当たり前ではないんだよ。当たり前で平凡な毎日はとてもしあわせなこと。毎日のこの「普通のこと」に感謝して生きよう。

娘はとても元気で四月から高校二年生になりました。「夏休みに友達とDisneySeaに行きたい」と言うので「DisneySeaに行くには一日元気で歩きまわる体力がないと無理だよ。通学の送り迎えをしてもらってるうちはまだ無理だと思うよ。」と言ったところ「4月からは自分で電車で行く。」と高らかに宣言し「まだそれは無理だと思うよ」という私の心配をよそに「定期買って〜」と言いました。

定期が無駄になったら嫌だな〜と思いながらしぶしぶ三カ月定期を買いました。なんと、それから毎日ちゃんと電車で通えています。こいつの根性、ハンパねえ。

見た目、普通の子となんら変わったところはないのですが、やはり駅の階段などは避けられるのであれば避けたいのでエレベーターを利用しています。学校への行き帰りの電車はとても空いているので困る事はありませんが、混んでいる時は出来れば優先席に座らせたいところです。でもA型でまじめな娘は「高校生が座ってるよって言う目で見られるから座れない」と言います。そんな事気にしなくていいのにねえ。

この病気はなかなか「完治」が難しく、ステロイドや免疫抑制剤をずっと飲み続ける必要があります。血液検査の数値は普通の人の数値の2倍程度の高さを保ったまま安定しています。まあ一番ひどかった時は普通の人の120倍でしたからね。それに比べたら大進歩です。

現在も一カ月に一度D大の外来を受診し、血液検査をして一カ月分の薬をもらっています。ステロイドを飲み続けているので半年〜一年ごとに、眼科を受診、骨密度の測定もしなければなりませんし、筋肉の状態を見るためにMRIもします。とても元気ではありますが、まだまだ病院通いはこれからもずっと続きます。病院も遠いし、親である私が連れていかなければなりません。自分もまだまだ健康で元気でいなければ・・・とあらためて思います。

娘は、毎日、「腹筋が崩壊しそうなくらい笑ってる!」と言うほどめっちゃ楽しい高校生活を送っています。病気になる前から行きたいと思っていた大学で、やりたかった勉強が出来るように、努力しています。君ならきっと出来るよ。がんばれ。

「不幸中の幸い」・・・我が家のこの経験は、まさにこんな言葉がぴったりかもしれません。病気になった事は不幸でした。でも、この経験から得たものはこの先の人生で必ず役に立つ大きな大きな収穫だったと思います。娘にとってはもちろん、私たち夫婦にとっても。

親って強いです。「もう無理」って思ってもけっこう出来るものです。今現在大変な思いをされている方、このちゃらんぽらんであまったれな私にも出来たから、あなたにも出来ます。大丈夫。応援してるよ、心から。

読みにくい長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。これで自分の中でも一区切りがつきました。



子どもが重い病気にかかった時・その1・「始まり」
子どもが重い病気にかかった時・その2・「病名がわかるまで」
子どもが重い病気にかかった時・その3・「入院と付添と仕事」
子どもが重い病気にかかった時・その4・「医療の細分化に驚く」
子どもが重い病気にかかった時・その5・「娘の気持ちと母親の役目」
子どもが重い病気にかかった時・その6・「医療費と保険」
子どもが重い病気にかかった時・その7・「学校と受験と進学」
子どもが重い病気にかかった時・その8・「夫婦の事と自分の事」
子どもが重い病気にかかった時・その9・「入院生活・退院後の生活で役立ったもの」






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コメント

こむぎさん、この2年間、これでもかというくらい、いろいろな思いで、さくらちゃんと一緒に闘病してきたのですね。でも、お母さんがこむぎさんだったから、さくらちゃん、今の日本で最善の治療を受けられたんじゃないかな、本当にそう思います。これから先も治療は続くようですが、さくらちゃんなら乗り越えられる!そっと陰から応援していますね!
親にとって最も辛いことって、「子供に何かある」ことだと思うんです。それ以外の悩みなんて、ほんとにちっぽけなもの、日頃忘れてますけど、本当にその通りなんですよね。
勉強しなかろうが、反抗されようが、健康なら何とでもなる!カリカリしないで、もっと大きな広い心を持ちたいな、、こむぎさんのエントリーを何度も読んで、そう思えました。ありがとうございますm(_ _)m

Posted by: ふうこ at 2012年06月16日 18:59

さくらちゃん楽しい高校生活送れているのが本当に本当にうれしいです。このエントリ何回読んでも涙が出ちゃう。
こむぎさんの思い、さくらちゃんのがんばりがこれからもたくさん奇跡をうんでいっぱいいっぱい元気で楽しい毎日送ってほしいです!!
子供はいつだってかわいいけれど、時々親として心が折れそうになることもあります。でもでもこむぎさんの書いてくれた「親って強いです」が私には太字で書いてあるように見えるくらい、いつも心の支えになってます。
弱い親だけど、、がんばりますっ!

Posted by: wadarie at 2012年09月13日 16:38

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