投稿者 常山あかね
■「自らの子育ての経験から、授乳服製造販売を開始~ストレスフリーの社会を目指す」
光畑由佳(みつはた ゆか)さん モーハウス代表(正式名称は、モネット有限会社代表)
■ 「世の中に対して不便と思ったことは、まずは、自分の力で解決できるかどうか考えてみます」
表参道駅から徒歩数分。ファッショナブルな青山通りに位置するのが、授乳服専門店「モーハウス」青山店だ。授乳服というイメージからは想像もできない、いかにもお洒落なブティックといった風情。授乳服ということに気付かず入ってくる若い女性も多いという。
「いらっしゃいませ~」とにこやかに応対してくれたのは、生後数ヶ月の赤ちゃんをベビースリングで抱っこした女性スタッフ。こちらは、はじめて見る光景に面食らってしまったが、まるで何ごともないように赤ちゃんを抱えたまま、接客、レジ打ち、さらにはラッピング(!)までも行っている様子に、カルチャーショックを覚えた。
それもそのはず、モーハウスは「子連れカンパニー」として、今各方面で注目されている話題の会社なのだ。
昨年秋、「経済産業省IT経営百選最優秀」を受賞したことで、男性への知名度も急上昇している。
明るくファッショナブルな街、青山は、子どもが産まれるとなかなか来られなくなる街だ。そこにあえて出店することで、「色々な世代の人に子育てについて理解してほしい」と語るモーハウス代表の光畑由佳さん。
モーハウス青山店には「子育て中の人にこそ、お洒落して来店してほしい。ちょっと晴れの場所で、ここに来た人同士が、椅子に座ってゆっくりコミュニケーションしていってほしい」という光畑さんの願いが込められている。

(昨年11月に青山店開店1周年を記念してモーハウスのファッションショーが開かれたので取材に伺わせていただいた。ファッションショーの様子はこちら)
実際にお会いした光畑さんは、お店のイメージ同様、とてもお洒落な女性。モーハウスのゆったりと心地よさげな服が、個性的でとてもよく似合っていた。足が痛いのに、無理してヒールの靴を履いてきた自分が恥ずかしくなるほどだ。
光畑さんの起業のきっかけは、自らの子育て中、中央線の車内で周りの目を気にしながら授乳せざるを得ず、恥ずかしい思いをした経験が原点だ。
「外で授乳ができないと、母乳で育てる人は外出できない。どうにか道具で解決できないのか。それがないなら自分で作ってしまえ」と考えたのだ。大学時代被服学を専攻していた経験を活かし、日本ではまだ馴染みのなかった授乳服の試作品を作り始めたところ、数ヶ月後には、口コミでポツポツと注文が来るようになった。しかし、当時は子育て中のほとんどの女性が「授乳服」という言葉すら知らず、多くの人に授乳服のよさを理解してもらうには時間がかかったという。
光畑さんは「授乳服を通じて実現できる子連れの新しいライフスタイルを広めたい」という思いから日々奔走。ネット販売はもちろんのこと、茨城県つくば市の自宅で授乳服を実際手に取ることができるオープンハウスを始め、地域でのイベントを開催し始めたのもこの頃だ。
さまざまな母親たちが集うようになり交流が深まるにつれ、販売も軌道に乗りはじめた。
試作品を作りはじめてから6年後、「私はこの仕事をこれからも続けていきますよ」という決意表明を込めて「モーハウス」を法人化、モネット有限会社を立ち上げ、現在に至る。
「もともと編集の仕事をやっていたこともあり、情報発信することが好きなんです。まさか仕事になるとは思いませんでしたね」と、光畑さん。
あのとき、子連れの外出をあきらめてしまっていたら、今のモーハウスは誕生しなかったのだ。一見、無理だと思われることを可能にしてしまうところが、光畑さんのすごいところだ。
「情報発信が好きなので、多くの人によいものを伝えたいんです。例えば行政に働きかけて授乳室を作ってほしいというような他力本願は私には合わない。それはそれで素晴らしいことだけど、私は自分でできることをやって、それを発信したいんです。世の中に対して不便と思ったことは、まずは、自分の力で解決できるかどうか考えてみます」と光畑さんは目を輝かせる。

■ 「「専業主婦」「保育園に入れてバリバリ働く」という二者択一はおかしい。赤ちゃんと好きなだけ接して、自然体でいけばいいんです」
また、モーハウスのいちばんの特徴は、スタッフのほとんどが子どもを持つ母親であり、子連れ出勤も可能というところだ。
茨城県つくば市の本社でも、内勤スタッフの何人かは子連れで出社しており、子どもをお昼寝布団に寝かせたり授乳したりしながら、思い思いのスタイルで仕事をしているという。
「スタッフの採用基準は、いかにモーハウスの活動に共感してくださっているか。
だから、自然とユーザーさん、つまり赤ちゃん連れの方が希望されるんです。
確かに、子連れのスタッフを採用することは、企業にとってはリスクだし、コストもかかります。でも、企業にとっては優秀な人材を採用できる手段なのにもったいない」と光畑さん。
あえて子連れのスタッフを採用することで、企業や社会に対して「こういう人を使わなきゃもったいないじゃない?」というメッセージも込められているという。
「「専業主婦」「保育園に入れてバリバリ働く」という二者択一はおかしいと思うんです。その間の、あいまいな働き方があってもいい。モーハウスが、フレキシブルな働き方の提案になればいいと思っています。応募する人も、モーハウスのやり方にインパクトを感じて応募してくれています。赤ちゃんと好きなだけ接して、自然体でいけばいいんです」。
光畑さん自身、日々の子育てを通じて「どうにかして悪い方向をいい方向に逆転できないか」という発想は、鍛えられているという。
「もしもクレームがあっても、そこから何かを学べないかを考え、結果としていいほうに活かす。これも子育ての成果だと思う。子連れ出勤でさえ、特色を出してメリットにしているでしょ?」と笑う。
実は、光畑さん自身は、若い頃は「子どもを産んだら、自分の仕事人生はおしまい」と思っていたという。1989年入社の雇用機会均等法の世代。「女性の会社でのキャリア」が声高に叫ばれ、先輩たちの道を追うように刷り込まれており、光畑さんも例外ではなかった。
でも、子どもを産んでみてはじめて「すごく楽しい」と実感。「若い頃にモーハウスの事例を見ていたら、人生違っていたと思う」と当時を振り返る。

■ 「子どもにも仕事を与えて、巻き込むんです。子どもだけ蚊帳の外において大事にするという必要はないと思っています」
ところで、日々忙しい社長業をこなす光畑さんだが、3人のお子さんの子育てとどのように両立させているのだろうか。その工夫を伺ってみた。
「月に1回程度、両親に手伝ってもらっていますが、あとは自分で夕飯を作っていますね」。本当は、自宅兼会社の隣に、家族やスタッフのご飯を作ってくれるおいしい自然食レストランを作りたいという光畑さん。
「自分が欲しいものはみんな欲しいでしょ。場所があればすぐやりたいですね」といたずらっぽく微笑む。
現在、光畑さんは、自宅兼会社で毎日夜8時過ぎまで働いているという。自宅の隣が会社なので、子どもも行ったり来たり。子どもが学校から帰ってきた時にいないことも多いが、近いところにいることの安心感は大きいという。
「私も、自営業の家庭で育ったので、学校から帰って一人でも、店にいけば誰かがいた。
自分が過ごしてきた環境とあまり変わっていないんです」。
夜8時くらいになったら子どもにご飯を食べさせて、その後は自宅でパソコンを打ちながら仕事を続けるのが日々のスタイル。「子どもには仕事をしているところは隠さないで見せるようにする」のが光畑さんのやり方だ。
ただ、職住接近で仕事をしていると、仕事とプライベートの時間の区別が難しくないだろうか?
「子どもにも仕事を与えて、巻き込むこともあります。子守りやDMのラベル貼りをやらせたり。子どもも人の役に立つのはうれしいんです。子どもだけ蚊帳の外において大事にするという必要はないと思っています。これは昔ながらのスタイルだけど、現代では少なくなってきましたね」。
昔から、人を巻き込むのが得意で、周囲の人をいつのまか協力者にさせてしまうことから「光畑マジック」と呼ばれていると打ち明ける。それは、子育てにも存分に活かされているようだ。
「「スケジュール管理を自分でしろ」ということはいつも子どもに言っています。私はぼーっとしているので、子どものスケジュールまでは把握できない。例えば参観日も子どもが事前に申し出てくれば、できる限り時間をつくるようにしています」。
「光畑マジック」は子ども自身の自立にも一役買っているのだ。
最後に、光畑さんに将来の夢を伺った。
「これまで、目標を持ってがんばろうというより、周りの人たちの力を活かしてここまできているんです。自然にそれに従ってやってきているし、自然の流れに従うのが自分のやり方。
株式上場などを目指すのではなく、今と同じようにスタッフみんなでゆったりやっていきたいと思います。それが憧れかな。いつもストレスフリーな状況でいたいんです。そんな風にハッピーに、自分の環境やステージにあった新しいことをやっていきたいですね」。
「これから、どんな声があってどんな風に向かっていくのか、自分でもワクワクと楽しみ」という光畑さん。「光畑マジック」は、まだまだ続いていく。
そして、「赤ちゃんと好きなだけ接して、自然体でいけばいい」という光畑さんの言葉に、本当の女性の社会進出のカギが隠されてると感じた。(取材 常山あかね)

●●プロフィール 光畑由佳さん。
モーハウス代表(正式名称は、モネット有限会社代表)。大学の被服学科卒業後、パルコ出版に勤務。出産後、モーハウスを立ち上げる。現在、二男一女の母。
■モーハウス青山店
〒150-0001東京都渋谷区神宮前5-52-2青山オーバルビル1F
TEL/FAX 03-3400-8088
■3人のお子さんがいてよかったことは?
3人子どもがいると兄弟が下の子の面倒を見てくれて、自分が楽になるという側面がある。小さい子供がいると癒し効果もあるし、特に寝顔には癒される。
「どんな時に子育てを負担に感じますか?」などとよく聞かれるけど、負担に感じてあたりまえという前提に、疑問を感じる。自分にとっては、子どもがいるのは自然なこと。
子育てには特別な興味はないけど、出産は非日常で面白い(笑)。自分の身体が変化していくことが快感。3人でも4人でもいいので、産んでみたい。これから産む人が羨ましい。
■家事・子育てと仕事の両立で意識していること
「子育て」というと、「子どものことが第一」みたいな響きがイヤ。自分のことが後回しで、自分を大事にできないのはおかしい。まずは自分を大事にしてほしい。授乳服もそのメッセージの一つ。
「子どもがいることで自分が我慢してマイナスになる」というのはおかしくて、「今までの人生をもっとプラスに楽しめる」というのがいい。それをみんなに認識してもらえ、社会全体の認識が変わっていくとよい。
■これまで仕事をやってきて一番嬉しかったこと
新潟で地震が起きた時にに、災害支援として何かやりたかった。モーハウスの服のリサイクルの品を本当にきれいにしてラッピングして、一人ひとりメッセージをつけておくることにした。それを何百枚かおくったら、翌年、長岡でモーハウスの服を着て授乳ショー(授乳服のファッションショー)をやってくれたこと。
■ワーングマザーやこれからワーキングマザーを目指す方へのメッセージ
私たちは、保育所の費用が高くても、勤め人としてがんばってきた均等法世代。それはそれでいいが、辛かったら無理に会社にしがみつかなくもいい。いろんな選択肢がある。フリーになったり起業してもいい。国家1種の仕事を辞めて、モーハウスのスタッフになった人だっている。
しばらく社会から離れていると仕事ができなくなるというけれど、細切れの時間で仕事をしなくてはいけないので集中力が高まって仕事の段取りもよくなるはず。残業できない分、効率よく仕事をするのでスキルアップできる。すべては本人の気持ち次第。
妊娠、出産で仕事から離れる期間も大事。大企業に入ったものの、自分がやりたい仕事かわからない人も多い。強制的に一線から引き離されて、頭を冷やして考えられるすごく貴重な時間。そこで、やりたいことを見つければいい。男性にはまとまった休みはないのに、インドに1ヶ月放浪するだけの時間を女性はもらっていると考えれば、ものすごくプラスだと思う。そのときに、選択肢をいっぱい広げてほしい。
「3人で行こう! 仕事も子どももあきらめない!」インタビュー第5回<河合蘭さん>
投稿者 常山あかね
■「自身の子育て・出産への疑問から、お産ライターへ」
河合蘭さん 出産専門ジャーナリスト
■ 「自分が経験したお産と育児に疑問があり、それをバネに、自分の子育てをつかみたかったんです」
『未妊-「産む」と決められない』。この本を読んだことがあるだろうか? 30才で子どものいない女性が50%を超えた現代だが、そのほとんどは、【「産む」と決められない】女性たちだという。少子化の本当の原因がいったい何なのか、「未妊」の彼女たちの声を取材して作られたのが、この本だ。「未妊」という言葉は、「まだ妊娠してはいないが、心の中で赤ちゃんがいるという状態」をあらわす造語だ。現代の女性は、出産を先延ばしにして赤ちゃんのことを考えている時間が長く、時間切れで子どもを持つことを諦めている人も多いという。
著者の河合蘭さん。出産情報サイト「REBORN」の代表もつとめるお産ライターの第一人者である。さぞや子ども好きな方であろうという印象を抱いていたが、子どもが産まれる前は、伝説のサブカルチャー紙「宝島」のカメラマンをしていたという、いたって現代的な女性だ。最初の子どもを妊娠した時も、「ちょうど犬でも飼おうかと思っていたからいいかな」とライトな気分だったと笑う。
そんな河合さんだが、いざ子育てを始めてみると「これはおかしい」と感じたという。
「子育てについては、何もかもが疑問だらけでしたね。子どもと1日マンションで2人きりの生活。密室育児で公園しか行く場所がなく、そこでの話題も夕飯の献立や夫の話ばかり。こんな子育てが日本全国で繰り広げられているなんて、ありえないと思いました」。
そんな閉塞感から抜け出すために、大学在学中にカメラマンの仕事で培った売り込み方法で、マタニティー誌にライターとして企画の売り込みをはじめ、子どもが1才のときに仕事を再開した。最初に実現した企画は、青森の産婆さんの取材だった。
ライターの仕事にしぼったのは、「とにかく見に行きたいこと、書きたいことがいっぱいあった」から。当時、自分が経験したお産と育児に疑問があり「それをバネに、自分の子育てをつかみたくて」という気持ちが根本にあった。
■「実績がなくても情熱があればチャンスはあるし、自分にしかできないことは必ず誰にでもあるんです」
私が驚いたのは、河合さんの行動力だ。カメラマンとしての実績があるとはいえ、ライターはまったくはじめての仕事。とまどいはなかったのだろうか。
「自信を持たなきゃと思うときは持つことです。人になんと言われようと私はライターだ、と思うこと。名刺に書いたら、もうその職業なんです(笑)。名刺を出せば、周りもそう思う。いつか自信がついてからと思うといつまでも表に出られないので、思い切って人前に出てチャンスをもぎとるんです。実績がなくても情熱があればチャンスはあるし、自分にしかできないことは必ず誰にでもあるんです」。
そんなポジティヴな河合さんだが、3人の子どもの子育てと、締め切りに追われがちなライターの仕事の両立はどのようにされているのだろうか?
「元々、母親が大学研究所の研究者で、フルタイムでバリバリと仕事をしてたため、色々な人に育てられてきた」という河合さん。
子どもの眼から見て母親の働き方がそんなにいいとは思わず、その結論が「フリーライターになり子育てと仕事を両立することだった」という。
「フリーであって、かつ子どもがテーマであれば、両立しやすいと考えたんです。2、3人目の出産はもう人体実験ですね(笑)。取材で知ったことを自分の子で確かめるんです」。
もともと、「のめり込みやすく限界まで仕事をしてしまうタイプ」という河合さん。
締め切りですごく忙しいときは、「お母さんは、この本を書き終わる迄いないと思って」と宣言するようにしている。子どもは、緊迫感が伝わり「はい。ママがんばって!」と答えて絵を書いておとなしくしているという。
そんな河合さんだが、子どもにサインが出たときは見逃さない。例えば、疲れて着のみ着のままでリビングで寝てしまう日が続いたり、朝スッキリと保育園に出かけられず体調が悪い様子だと、ちょっとやりすぎているなと危機感を感じるという。
そんなときは、ゆっくりお風呂に入ってたくさん絵本を読んで寝かしつけるなど、短時間だけ集中して相手をしてあげることを、こころがけてきた。
「3人子どもを育てていると、ちょっとの時間観察すると、子どもがどのくらい乾いているかがわかるんです」。
1人目のときはそこまでは観察できなかったというから、子育ての経験を積むにつれ、仕事も円滑にまわるようになったといえる。
また、河合さんは「どんなに忙しくても子どもを抱っこしていっぱいさわってほしい」とメッセージを送る。
「自分自身のためにもスキンシップが必要。理屈ではなく、子どもがなんでこんない可愛いんだろう、と思える瞬間があればいいんです」。「メリハリを大事にする」のが、河合さんの子育ての最大の秘けつだ。

■ 「「もっとリラックスしよう」「もっと簡単に考えよう」というメッセージを送ることで、若い女性がもっと楽に子どもを産むことを考えられる時代がきてほしい」
最後に、出産専門ジャーナリストの河合さんが、なぜここにきて「産む」ではなく、「産まない」をテーマにとりあげているのか伺った。
「現代の女性は、昔よりややこしいことになっていて、シンプルさがなくなっていると思うんです。赤ちゃんと触れあう実体験もなく、お産の怖い話ばかり聞かされ、不安材料が自分の中にたまっています。昔の人はもっと簡単に考えて子どもを産んでいたはず。生き物としての女性を考えた場合、現代は窒息しそうな状況です。
仕事もしたいし、遊びもしたい。それは、いざとなれば子どもがいてもできることなのに「無理だ」「大変だ」という想いばかりが先行して、とても苦しそうにみえます」。
頭でっかちの女性に対して「もっとリラックスしよう」「もっと簡単に考えよう」というメッセージを送ることで、若い女性がもっと楽に子どもを産むことを考えられる時代がくることが河合さんの願いだ。
河合さんのお話でいちばん私の心の残っているのは、「何かの専門家になれば、必ずお金はあとからついてくる」という言葉。「お医者さんが目の前に急病人がいれば助けるように、私はお産について知りたい人がいれば書く。それだけのことで、そのうち世間から役に立つ存在だと思われるようになれば、それが自分の職業を持つということだと思う」と力強く語る河合さん。
「未妊」に続き、今後は「2人目未妊」や「男性版未妊」にも取り組みたいし、産科医不足など社会全体の出産力低下にも迫りたいと意気込む。「やりたいことが尽きない」という河合さんの表情は、日々ライフワークに取り組んでいる喜びと誇りに満ち溢れていた。(取材 常山あかね)

●●プロフィール河合蘭さん。
サブカルチャー誌のカメラマンを経て、子どもを出産後、お産専門のフリーライターに転身。出産情報サイト「REBORN」編集長。3児の母。
著書に、『未妊-「産む」と決められない』(NHK出版生活人新書)/『お産選びマニュアル-いま、赤ちゃんを産むなら』(農文協)がある。
河合 蘭オフィシャルサイト
■3人のお子さんがいてよかったことは?
3人いてすごくよかった。それぞれがいい味を出しているから。
1人目のときは、「こういう子に育てたい」という思いがあったが、3人目になると「子どもは持って生まれたものがあって、その子が伸びたいようにのばしてあげればいい」と思えてきた。いいところを探し、観察し、それを伸ばす。3人足すと、束になれば長所短所を補い合って、期待通りの子になる(笑)。1人の完璧な子を求めても無理なので心にもゆとりが生まれる。
子どもがいることで、基本的な欲望が満たされていると感じる。多少うまく行かないことがあっても、それで過剰に落ち込んでしまうことはない。子どもたちがいて家庭があることが支え。自分も我慢強くなった。
■家事・子育てと仕事の両立で意識していること
両立は本当に大変だと思う。限界を超えたので、気持ちが荒れたこともあった。そんな時、夫が「今がピークだ」と言ってくれたので救われた。「もうだめだ」と思うと、必ず時間が過ぎて子どもは大きくなりそれを越してくれる。辛い時は、キレる自分を許してもいい。介護は衰えていく人が相手だし終わりも見えないが、子育ては未来が明るいのでキレても大丈夫。
家事は、成長した子どもがかなり手伝ってくれるようになり、ファミリーサポートも利用している。いい方に出会えて、とても満足している。実の母が同居しているが、もともと大学で研究者だったので、「受験勉強だけしていなさい」と育てられた女の子の草分けで家事はきらい。夫は長時間勤務で頼れないが精神的な支えになってくれて、異業種ゆえのアイディアをもらうことも多い。
■これまで仕事をやってきて一番嬉しかったこと
仕事は日々面白くて仕方がない。会いたい人、読みたい本がたくさんあり、知りたいことが次々に溢れてくる。興味が尽きないということに尽きる。
「「未妊」を読み、迷っていたけど避妊を止めました」というような読者からの手紙をもらうときは一番嬉しい。自分の書いたものがどこかで誰かの人生に関るということは、私にとって最大のロマン。
プロの書評より、本当に赤ちゃんを抱いた人の感想をもらえることがいちばん嬉しい。
■ワーングマザーやこれからワーキングマザーを目指す方へのメッセージ
何かの専門家になれば、必ずお金はあとからついてくる。まずは、何かを極めてほしい。仕事をしたときに、大きなお金が動くこともあるが、必ずしも動かなくてもいい。
「この仕事をしたらなんぼですか?」という働き方をしていたら、やはりそれだけのスケールにしかならない。お医者さんが目の前に急病人がいれば当然助けるように、私はお産について知りたい人がいれば書く。それだけのことで、そのうち世間から役に立つ存在だと思われるようになれば、それが自分の職業を持つということだと思う。
2006年12月31日
「3人で行こう! 仕事も子どももあきらめない!」インタビュー第4回 <吉田亜樹子さん>
投稿者 常山あかね
■「福島から、ネットショップでイタリアの食文化を発信」
吉田亜樹子さん
トスカニーワインハウス店長

■ 「子どもは、早く産んで早く仕事に復帰したいという思いがあり、3人大急ぎで産んだんです(笑)」
トスカニーワインハウスは、楽天市場のモールに出店しているイタリアワイン&食材専門のネットショップ。開店6年目にして、月商約3000万~6000万。ワイン部門での受賞歴もある人気ショップだ。デパートでも手に入らない食材の豊富さが評判を呼び、有名人の利用客も多いという。
この店長を務めるのが、アッピさんこと吉田亜樹子さん。自分の好きなことを活かしてショップを持つことは多くの女性が憧れるが、なかなか敷居が高いのが現実。そこで、まずは、アッピさんがこのお店をはじめたきっかけを伺ってみた。
「夫の実家が福島県の酒屋だったんです。もともと造り酒屋だったんですが、戦後小売になりました。義母が一人で店をやっていましたので、一人息子である夫が店を継ぐことになり、私もついていったんです」。
アッピさんは、大学卒業後、日商岩井の女性総合職二期生として、輸入業務を担当していたというキャリアの持ち主。福島でご主人の実家を継ぐことに迷いはなかったのだろうか。
「夫とは、大学1年頃からつきあっていまして。つきあうときから長男とわかっていたので、覚悟はついていました。24才で結婚。子どもは、早く産んで早く仕事に復帰したいという思いがあり、3人大急ぎで産んだんです(笑)」。
意外なことに、総合職として企業で働いた経験が、逆に、アッピさんの決意を固めたという。
「商社で働いていて、正直、先が見えちゃった気がして。この先がむしゃらに働いて、定年前で部長ぐらいだったら、つまんないなと。4年ぐらい働いてサラリーマンの辛さもわかってしまった。
もっと自分のやりたいことをスパッとやりたかったけど、それに到達するために時間がかかってしまう。それだったら潔く辞めてやりたいことをやりたかった」と語る。
「それに、総合職で働いていたので、子供を産んで働くイメージがなかったんです。
男性と同じように朝から晩まで働いては、とても両立は無理だと思い、子どもは会社を辞めてから産もうと思ったんですね。基本的には仕事が大好きなので、早く子どもをある程度育てて、あとでゆっくり働きたかった。今思えば、早く子どもを産んでおいて本当に良かったと思います」。
その後、福島の実家に戻り、手狭だった実家の近くに新たに店舗を構え、中規模程度の酒店をご主人と開業したという。しかし、酒屋もディスカウント店の全盛でどんどん競争が過密になり、売り上げも下りのエスカレーターだった。「こんなんじゃだめだ」と危機感を持った。
そんな矢先、アッピさんは、楽天でイタリアワイン&食材のネットショップ「トスカニーワインハウス」を始めることになる。

■ 「共同直輸入とはいえ、何百ケースも買わなきゃいけなくて大量に在庫があまってしまって。それが、ネットショップを出店してすべて解決したんです」
「根が高級食材が好きだったんですね(笑)。最初は好きだからという理由だけでイタリア食材の取り扱いをはじめたんですが、そのうち共同で直輸入する仲間ができて。でも、なかなか地元では需要がなく売れなかったんです。そんなとき、たまたま楽天の話を聞いて出店することに決めました」。
もともとイタリアワインが大好きだったアッピさんだが、ご主人が出張でイタリアに行くようになりお土産のサラミや生ハムを食べているうちに、「あまりのおいしさ」に自分でもイタリアに行きたくなり、共同購入を始めたという。
「もともと商社で仕事をしていたので輸入事務は簡単だったんです。でも、お客さんに直接商品を販売することはすごく難しいと感じましたね。
でも、出店して半年間ぐらいは誰からも反応がなかったですね。メルマガを書いても反響がないし、売れない演歌歌手のような気持ちでした(笑)。でも、ある日食材を売り始めたら反響がよく、そのうち雪だるま式に売り上げがふくらんでいったんです」。
アッピさんは、成功の要因をこう分析する。
「はじめから広がりのあるマーケットに出たというところがよかったんだと思います。
「イタリアの食とワイン」というと、ボリュームゾーンが大きかったんでしょうね。
世界中のワインを扱うのは資本的にやりきれないし勉強もしきれないので、イタリアに絞ることにした。そうすれば集中的に勉強できると思ったのが、結果的に正解でした」。
■「見守ったりがまんすることを、子育てを通じて学んでいます」
こうして順調に事業を軌道に乗せたアッピさんだが、「時間を作ってメルマガ1本を配信すれば売り上げが上がる!」という時間との闘いで生きているネットショップの店長と、3人の子どもの子育てをどうやって両立しているのかを伺ってみた。
「子どもの顔をたまによく見ると、大きくなったなぁと思います(笑)。最初は主人の母と同居していました。今は別居していますが、近所なので、子どもの面倒をお願いすることもよくありますね。夜7時~8時には家に戻る生活ですが、おばあちゃんの協力がなかったら出張にも出れない状況です」。とにかく、周りの人を説得し、協力を得ることが先決という。
それに、会社で人を育てることは、子育てとかなり似ているというのもアッピさんの持論だ。「ついついスタッフには大上段にかまえて物を言ってしまうが、どうすれば人間として教えることができるのかが本当に難しい。子育てとすごくだぶっているし、見守ったりがまんすることを子育てを通じて学んでいます。まだまだこの分野に関しては、発展途上中です」と笑う。
そんなアッピさんに将来の夢を伺ってみた。
「将来は、ネットショップだけではなく、実販ができたらいいなと思っています。来店のあるところで売りたいという思いがあるんですね。パワーが分散される危険があるけど、挑戦してみたいです。東京にいきなり出店するのではなく、まずは一つの完成系を田舎で作らなければならないと思っているんです」と熱く語る。
ネットショップを続けていると、どうしてもスタッフのコミニュケーションが少なくなりがちなのが、もっかのアッピさんの悩み。「もっとイタリア的に本能で触れ合いたい。一緒にごはん食べたり飲んだり、匂いをかんだり。生でしゃべって気持ちをぶつけあう。実態のある人間のつながりを大切にしたいし、人間の匂いのするお店になりたいんです。ネットだけで完結せず、おしゃべりな店員さんがお客さんとずっとしゃべっているような、イタリア的な陽気な店が理想です」。
仕事やイタリアの話になると、本当にキラキラと輝いているアッピさん。
「仕事なしでは生きられない」という言葉通り、働くことやビジネスが本当に好きで好きでたまらない、本物のビジネスウーマンに出会った思いだった。
「子どもを育てながら働くのは本当に大変なこと」。
私も最近会社をはじめて、このアッピさんの言葉の重みが、ズシリと胸に響いてきている。しかし、働くということは、そういうことだ。「毎日が時間との戦い」というアッピさんの気持ちが、少しづつ理解できてきたように思う。
(取材 常山あかね)

●●プロフィール吉田亜樹子さん。 トスカニーワインハウス店長。大学卒業後、日商岩井に総合職として勤務。結婚後、ご主人の実家の酒店をを継ぎ、現在に至る。中1、小4、小2の3児の母。
■3人のお子さんがいてよかったことは?
3人子どもがいるとホッとする。子どもの世界が自然とできるから、人数が多くてよかったと思う。子どもが一人のときは一番大変だったかな。
■家事・子育てと仕事の両立で意識していること
3女が、2~3ヶ月、朝、学校に行かない日が続いたことがある。やはり寂しいのかもと感じたが仕事は私の生き甲斐でもあるし、生活でもあるので、辞めることはできない。「じゃあどうしよう」と思ったとき、「朝ごはん大作戦」を考えた。これまで、おにぎりと果物だけとか、朝ごはんを手抜きしていたことに気づいた。それをご飯、煮物と、思わず朝起きずにはいられないような、旅館風の定食メニューを実行。味噌汁をつくり、だしをとってそれで煮物を煮る。私も早起きになったし、みんなの始動もよくなり、家庭の雰囲気がよくなった。
あとは、「読み聞かせ大作戦」。毎晩寝るときは、読み聞かせを実行。
最初は学校に無理やり連れていこうと思ったが、無理やり連れていってもダメだった。次はほっておくことにした。そこで、この作戦ををはじめたら、3女のようすも、次第によくなり、成果が出てきた。それ以来、どうしたら子どもが自発的に動けるようになるかを、常に意識し工夫している。
■ワーングマザーやこれからワーキングマザーを目指す方へのメッセージ
子育てしながら働くのは本当に大変。周りの理解を得られなければ、ムリ。会社員の場合、それを押してでもあなたにいてほしいと思われる、能力を発揮すべき。まずは、仕事で認められることが大事。
会社員と同様、起業することも大変。私自身は、自由できままな人間なので、会社の枠にははまりたくなく起業に向いていた。定住するのは、福島でも、東京でも、イタリアでもいい。起業することによって、それが実現できる。今も、イタリアで数ヶ月暮らしたいと思っている。起業したら可能性はいくらでも広がるし、生き方はいく通りもある。今の日本の会社は男性社会の価値観が強く、働くのに女性が不利といわれているが、型にはまらず自由に生きればいいと思う。もちろん、最終的には、自己責任。そういう覚悟があれば、どんどん起業したらいい。失敗したらやり直せばいい。また、「親子の絆」は、時間とは違う形で築けばいいと思っている。
2006年12月11日
「3人で行こう! 仕事も子どももあきらめない!」インタビュー第3回 <田澤由利さん>
投稿者 常山あかね
■「北海道から、育児中の女性がSOHOで働ける環境作りを目指す」
田澤由利さん
株式会社ワイズスタッフ 代表取締役社長。

■本当は一生勤めたかったけど、私は、家族と住むことを選びました。
「田澤由利さん」の名前は、誰もがどこかで耳にしたことがあるだろう。今年6月、内閣府「女性のチャレンジ賞 特別部門賞」を受賞し、マスコミでその活動が紹介されるなど、ネットオフィスの先駆者として名高い女性起業家である。また、北海道の北見に在住し、元会社員のご主人と共に自宅で会社を経営していることでも知られている。長年SOHOスタイルで働いてきた私にとって、テレビなどで時折拝見する田澤さんは、まさしく憧れの女性だ。
その活躍ぶりから、キャリアウーマン然とした方を想像していたが、実際にお会いした田澤さんは、肩の力の抜けた、自然体の笑顔がとても魅力的な方だった。
今でこそSOHOの母と呼ばれる田澤さんだが、もともとは、家電メーカーに勤務する普通の会社員。
「私が大学を卒業した頃は雇用均等法が施行される頃で、女性総合職としてシャープに就職しました。大学のときはスペイン語を専攻していたんですけど、パソコンに出会いその面白さを知ったのが動機です。シャープのパソコンの事業部が奈良で、実家の近くだったし、パソコンの商品企画という本当にいい仕事に出会えたんです」と当時を振り返る。
「女性が働くための制度もしっかりしてるし、ここで一生働くと決めた」田澤さんだが、学生時代からの付き合いのご主人が転勤族という理由から、やむを得ず、会社を退職する道を選んだという。
総合職として一生働こうと決めた会社を退職することへの不安や未練はなかったのだろうか?
「夫の転勤にあわせて仙台に出向させてもらったりもしましたが、数年でまた夫が地方に転勤することになりました。もうこれ以上会社に迷惑はかけられないと感じたんです。本当は一生勤めたかったけど、私は、家族と住むことを選びました。やはり、会社を辞めたことで、社会から切り離されたような感覚になりましたね」。
そこで、田澤さんが、自分なりに見つけた働く方法が、ライターだった。
「パソコン関連のライターなら家でできると思ったんです。ちょうど子供がお腹にいる時期だったんですが、出版社に電話したりと一生懸命営業して、なんとか仕事をとれるようになりました。その時期に、3人の子どもを産んだんです。仕事があるから保育園には預けていましたが、家でやる仕事だからこそ、3人の子どもを育てることができたんだと思います」。
当時は、まだインターネットはなく、パソコン通信のメールを使い在宅で仕事をしつつ、4~5回に及ぶ「夫の転勤」を乗り越えた。
9年前の秋に、北海道の北見に転勤になったときは、「さすがにもうダメかと思った」と笑う。これまでのように、「ベビーシッターを手配して、日帰りで名古屋から東京へ何とか打ち合わせに赴く」というわけにはいかないからだ。
東京から北見までの飛行機代は、往復で7万円。しかも1日に4便しかない。しかし、折りしも、時代は、インターネットが普及し始めた時期だった。
「ちょうどSOHOが注目されて、うまく波に乗ったんです。名古屋にいる田澤由利より、「北見にいる田澤由利」だからこそ、マスコミ的に価値があがった。気づいたらSOHOの第一人者とか、在宅ワークの母(笑)と呼ばれるようになって。そのうち、いろんな人が私みたいになりたいと相談に来るようになったんですね。あの時期は、ちょうど雇用均等法世代の有能な女性たちが、続々と会社を辞める時期だったんです」。
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■「育児や親の介護などで、多くの女性は働くことをあきらめている。お小遣い稼ぎではなく、ちゃんと稼げる仕組みを作りたい」
しかし、「在宅ワーク」という言葉だけは盛んになったが、実際には、仕事がないのが現実だった。少しの仕事に人が殺到することで賃金が値下がりし、当時在宅ワークの主力だったデータ入力の仕事の品質は落ちていき、悪徳業者さえ出てくるという状況。田澤さんが会社を立ち上げることを決めたのは、この時期だった。
「道具ができただけでは企業は仕事を発注しないんです。せっかくインターネットが普及して能力ある女性が埋もれいるというのに、活路が見えない。育児や親の介護などで、多くの女性は働くことをあきらめている。お小遣い稼ぎではなく、ちゃんと稼げる仕組みを作りたい」と、思いが募っていった。
「ネット上で会社を作り、限りなく会社に近い状態を作りたい」という理念のもとに、ワイズスタッフ という会社を立ち上げたのは、98年のことだった。
「なぜ企業が個人のSOHOに仕事を発注しないかを考えたんです。どんなに安くても、個人が病気になればその仕事は止まってしまう。安くていいとわかっていても怖いんですね。何かトラブルがあっても対応できる小さな「会社」に発注したいというのが現実なんです。
そこで、これからの時代はネットが中心になるし、1人で仕事がもらえないのであれば、力をあわせて企業から発注してもらえる仕組みがあればいい、と思ったんです」。
「まずは、ビジネスの土俵にのぼりたかった」という田澤さんは、ネット上でプロジェクトを組んで仕事をすることで、安くで品質のよいものができると確信。プログラマーやデザイナーなど多様な人材を組み合わせ、企業の発注したい仕事に応えていく場を作った。当初は、入力、メルマガやウェブ制作などが中心だったが、企業のあらゆるニーズに応じてプロジェクトを組み、ブログ制作やネットプロモーションなど守備範囲を広げていった。
「地方に優秀な人材が埋もれていることが多い」と気づいた田澤さんは、現在全国に100人いるSOHOのスタッフを採用する時は、必ず面接を実施している。南は鹿児島から海外まで、双方の妥協できる場所まで必ず会いに行く。ネットで仕事をするからこそ、顔の見えるリアルのコミュニケーションが大切という信念があるからだ。ブレストはテレビ会議で、忘年会はチャットを利用という具合だ。「ネットならではの仲間を育てていきたい」という想いから、組織が大きくなった今も、社内メルマガを毎週発行したり、エリアミーティグを実施したり、絶えず工夫を続けている。
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■「家族がいて、自分が住みたい地域にいて、だからこそ仕事をがんばれる」
こうして会社を順調に成長させてきた田澤さんだが、3人のお子さんがいて会社を経営するとなると、いちばん気になるのがご家族の仕事への協力体制だろう。ワーキングマザーにとってかかせない、ご主人の協力体制について、伺った。
「夫は、昔気質の人間なので、家事はほとんど手伝ってくれないんです(笑)。積極的なのは、保育園の送り迎えぐらい。だから、出張中は家政婦さんに食事などをお願いしています。幸いなことに地方在住なので、家政婦さんの費用も安く、平和に暮らせています。私が家をあけている間、夫に家事を任せてしまうと、彼にストレスがたまってしまうので、割り切っているんです」。
ワーキングマザーというと、家事に仕事にとすべてを抱え込んでしまう人が多い中、田澤さんの発想はきわめて斬新だ。
「家政婦さんにお願いをしているのは、ぜんぜん恥ずかしいことではありません。家庭をうまくまわすためには、みんなにもストレスのない形を考えることが大事。親が忙しくて出来合いの惣菜を食べるぐらいなら、家政婦さんに温かいご飯を作ってもらうほうが家族の健康のためにもいいんです。無理はせず、人にお願いできることはお願いする。その代わり、平日は出張で出ていても土日は必ず家にいて子供と遊ぶなど、人にお願いできない部分については、妥協しません」。
「家族がいて、自分が住みたい地域にいて、だからこそ仕事をがんばれる」という田澤さん。そんな田澤さんに、最後に今後の目標を伺った。
「私自身は、子どもが中学3年、小学6年、3年と、ある程度成長したので、SOHOで仕事をする時代は終わった思います。今やるべきことは、私の昔の状況にいる人のために「家でもちゃんと働ける」会社をつくり、そしてそれを広げること。
現在、ワイズスタッフのメンバー100人に対してそれは実現されているけど、そういう仕組みやシステムを使って、1000人、2000人が働ける土台を作っていきたいんです。単に道具や仕事があるだけではなく、組織化して教育していく。いつかは、その手法を新しい経営学の1つとして、まとめたい。会社を辞めたり、転勤をしたりしても、本当の意味で、SOHOで働ける環境を作り、世の中を変えていくお手伝いをしたい」と熱く語る田澤さん。
地方に暮らしてみて、あらためて地方のよさも実感したという。
「人間らしく生活できて、余計なストレスがない。おいしいものを食べて、週末は家族と思い切り遊ぶ。毎日満員電車で1時間ゆられて都会で生活するのは違うかな、と」。
地方に行くと同じ1000万円の収入でも、贅沢をしなければ、都会とは生活の豊かさが違ってくる。「地方にいながらネットで300万~400万を稼げる環境を作り、全体を底上げしていきたい。そうすると、地方も元気になるし、人も元気になるんです」。
「ロハス」や「ワークライフバランス」という言葉が注目されるずっと以前から、自らが地方に暮らし、ネットオフィスという先端的な試みを実践し続けてきた田澤さん。
私も、田澤さんを目標に、しかし自分独自のスタイルで、しなやかな生き方を見習っていきたいと強く感じた。
(取材 常山あかね)

●●プロフィール田澤由利さん 株式会社ワイズスタッフ 代表取締役社長。奈良県生まれ。3女の母。
■3人のお子さんがいてよかったことは?
3人が何かをしているのを見るときが、一番幸せ。とにかく頭が並んで3つあるのが幸せかな(笑)。それぞれの個性があり、人間関係があり、見てるだけで幸せな気分になれる。
育てるときは大変だったけど、人として色々できるようになると、面白い。
私は学生時代卓球をやっていたので、子供を産まなかったら、子供が部活動でやっている陸上やバスケットなど、色々な世界を知らなかった。人生をまた3倍楽しめる。苦しみも悩みも出費もあるけど(笑)。
私は、子どもが大好きで「子どもが第一」というタイプの母親だけど、昔は、子どもを産まずに一生働きたいと思っていた。でも、実際に産んでみて、その素晴らしさに気づき、今は子供たちに感謝している。
■家事・子育てと仕事の両立で意識していること
みんなが無理をしない状況を作ること。無理な家事を無理にすることはないし、
食事の支度やお弁当作りに縛られてカリカリする必要もない。
私自身、家事は苦手だから外注しているけど、子どもと遊ぶことは大事だと思うし、
愛情をそそくごとには手は抜かない。平和に仕事と家庭を両立するための努力をしていきたい。
北海道に住み着いたのも、自然に恵まれた地域で子育てをしたいという思いが大きかったから。最初の2、3年は、家族の思い出づくりに励んだ。女の子3人なので、出張で授業参観に行けないときなどはグチもあるが、私の仕事については大体理解してくれているし、親に愛されていることには自信があると思う。
■これまで仕事をやってきて一番嬉しかったこと
2人目の子どもを産むスタッフが、産休をとるときに、「ワイズスタッフで働いているから、もうひとり子どもを産もうと思った」と言われたとき、幸せを感じた。
私が会社をはじめたことのベースは、「埋もれている人材に、ネットで仕事をしてほしかった」ということ。でも、8年前とあまり状況は変わっていない。家族が一緒に住めるために、新しい選択ができる働き方を普及させたい。それが間違ってないと感じられるときが一番幸せ。
■ワーキングマザーやこれからワーキングマザーを目指す方へのメッセージ
仕事と子育ての両立は大変。無理せず、自分のできることを100%やるほうが結局はうまくいく。悩んで停滞するより、どうやったらできるのかを考えていくことが大事。
がんばりすぎて体を壊さないように、要領よく!
ある友人は、私の生き方を「しなやかに生きている」と言ってくれた。壁にぶつかったときに、壊すことばかり考えたらしんどい。横に抜け穴がないか考えたり、壁のそばに家を建てて住んでしまってもいい(笑)。働きながら子育てできることは幸せであり特権。いろんな選択や抜け道があるから、無理せずがんばってほしい。
2006年11月05日
会社を設立しました!
投稿者 常山あかね

この度、10月30日付けで会社を設立しました!「え?なんの?」と思われる方も多いと思いますが、「ワークライフバランスの実現」をテーマに、仕事と子育ての両立を支援するサイトをオープンの予定です。具体的には、SOHOでの仕事のマッチングと、コミュニケーションツールとして、WEBを利用した便利ツールやSNSなどの提供をしていきます。
会社を作りたいなと思い立ったのが、6月。まずは、自治体主催の企業家セミナーに週末に通い、7月に横浜産業振興公社主催の「よこはまビジネスプラングランプリ」に応募してみました。そこで、予想外(!)の最終選考の6プランに選出され、事務所の賃貸料の半年の補助、専門家の派遣など、創業支援を受けることができることになりました。残念ながらグランプリはいただけませんでしたが、表彰式にいらした憧れの中田市長ともお話できて、私にとってとてもよい経験になりました。
会社設立については直前まで迷いましたが、チャンスを生かさずに後悔するよりも、まずは走り出してみようという気持ちが勝りました。はじまったばかりの私のチャレンジですが、たまには、こちらで経過を報告させていただきたいと思っています。
会社勤めの夫の帰りは遅く、子ども3人の子育てをしながら、パソコンに向かう仕事と家事に追われる毎日。こんな地味で孤独な生活を送っている私ですが、そういう私だからこそ等身大でできることもあるのではと思っています。まずは、自分と家族が、どうすればワークライフバランスのとれた充実した人生を送ることができるのか。どうしてこんな当たり前のささやかな幸せが実現しないのか。そんなことをテーマに、これから会社を経営していきたいと考えています。みなさん、今後ともどうぞよろしくお願いします!
2006年09月22日
出産で女性は賢くなる?
投稿者 常山あかね

「出産や子育ては、仕事のキャリアにマイナスになる」と思われている方も多いのでは?
でも、その考えを根底から覆すのが、この本「出産で女性は賢くなる」です!
育児の経験によって、並行してさまざまな仕事をこなすマルチタスク能力やマネージメント能力が身につくことはよく言われていますが、その理由について科学的に言及した本を読んだのは、この本がはじめてでした。
私がいちばん興味深かったのは、「出産経験によって、ネズミの空間学習力と記憶力が向上したという報告がある」との部分。また、「恐怖とストレスが軽減する」こともわかっているそうです。「ほとんど全ての哺乳類のメスは、妊娠や出産、育児によってホルモンが大きく変動し、脳の中が再構築される」そうですから、人間にも当てはまる可能性が高いと言えそうです。
また、出産や授乳によって、髪の毛が抜けたりと悩むことはよくありますが、ホルモンの変化によっていったん抜けた髪も、再生して健康な髪として生まれ変わるそう。
(先日、骨粗しょう症の検査をしたら、標準値の3倍も骨密度があって、我ながら意外だったことも納得がいきました。(^^)女性器官系の病気になりにくいと言われているのも、よい効果の一つだと思います)
もちろん、この本の本当のよさは、医学博士であり現在は育児工学者の小谷博子氏が、自らの出産育児の体験を通じて、育児工学という新しい分野の研究に果敢に挑んでいくところです。地域のママたちを巻き込み、「便利さのみ」を追求する企業との提携を断り、「本当にママと赤ちゃんにとって必要なものは何か」を研究していく姿勢に、涙が止まりませんでした。仕事も育児も楽しみたい女性にとって、希望と自信を与えてくれる一冊です。
育児の経験をキャリアとして世に評価してもらうために、私のできることはまだまだたくさんありそうです。
2006年08月29日
「育児支援タクシー」を政府が後押し
投稿者 常山あかね
先日、NHKで、「「育児支援タクシー」の普及に向けて政府が支援制度の整備に乗り出す」とのニュースがやっていました。(YOMIURI ONLINE8/26付けの関連記事)
具体的な内容は、「共働きなどで多忙な保護者に代わって子供の保育所や習い事への送迎をするなど、育児支援に積極的なタクシーを普及させるため支援制度の整備に乗り出す」というもの。
香川、山口など、一部の地域では、すでに子育て支援を掲げたタクシー会社が営業を行っているそうです。
ただ、親の気持ちとしては、子どもだけをタクシーに乗せて送迎してもらうとなると、運転士さんがよほど信頼できないと預けるのは難しいと思います。現在でも、「女性運転士や、いつも決まった運転士を指名できる」などのメニューがあがっているそうですが、いちばんの理想は、保育士もしくはそれに準じるレベルで、子どもの接し方に慣れている運転士さんに担当していただけるのがよいと思います。
実は、昨日、打ち合わせで都内に行ったら、打ち合わせが長引いてしまい、6時30分の保育園のお迎えに滑り込みで間に合うような時間になってしまい、かなり焦ってしまいました。
そこで、とっさに、出先から近所の友人に電話したところ、保育園に代わりにお迎えに行ってくれて帰るまで預かってくれるとのこと。恐縮しながらも、安心して帰路につくことができました。
そこで、「育児支援タクシー」のことを思い出し、もし本当にこういうサービスがあれば利用したいなぁと実感。もっとも、私は滅多にこのようなことはないのですが、毎日都内まで勤務している方は、残業などで帰宅が遅れてしまい、ドキドキして駅からタクシーでお迎えに走ることや、とっさに近所の友人にお迎えをお願いすることも、しばしばあるのではと思います。
もちろん、親が送迎するにこしたことはないですが、定期的に利用するわけではない私のような人にも、ピンチのときに、力になってくれるサービスであってほしいなと思います。
2006年08月06日
朝日新聞に掲載されました!(子供の朝ご飯作り)
投稿者 常山あかね

8/3付け朝日新聞朝刊(生活面)に、「子供の朝ご飯作り」を取材いただいた記事が掲載されました。我が家は、「料理初心者の子どもたちが朝ご飯作りにチャレンジ」という趣旨で、WMS代表の村山らむねさんのお宅は「料理上級者のお子さんが料理の腕前を披露」という対照的な2つの事例としてご紹介いただきました。
国立女性教育会館の実施した「家庭教育に関する国際比較調査(2005年)」によると、「15歳のときに1人でできると思うもの」のアンケートの中の、「家族のために食事を作る」が、54.9%と、韓国に次いで低い数字が出ています。1994年調査では、63.4%だったので、ここ10年で、子どもの自立の度合いが低くなったといえます。
また、日本の父親は、子どもの「食事の世話をする」分担率が10.1%と、トップのスゥエーデン(45,6%)、日本の次に低い韓国(20.4%)と比べても、著しく低い数字が出ています。
もっとも日本の約4割の父親が、「子どもと接する時間が短い」と悩んでいるとの結果も出ており、
若いお父さんが、会社(上司)と家庭の板挟みになっている、同情できる状況もうかがえます。
今回の朝ご飯作りを通して、「お母さんのお手伝い」ではなく、もっともっと、家族全員で食事の準備や家事を分担するのが当たり前の風土ができあがればよいなと思いました。(我が家は、まだ発展途上中です(^^;)
2006年08月02日
働きやすい会社ナンバー1は?
投稿者 常山あかね
日経新聞が8/1付け朝刊で、2006年度「働きやすい会社ランキング」を掲載していた。
松下電器産業が2年連続で首位。2位は日本ヒューレット・パッカード、3位は大日本印刷。「子育て支援や介護休業など少子高齢化に対応した制度を整備した企業が上位を占めた」そうだ。
ananの「抱かれたい男ランキング」、「大学生の就職人気企業ランキング」など、ナンセンスとわかっていても、ついつい毎年目がいってしまうし、世間の注意を喚起する意味でも、ランキングを発表する意味は大きいと思う。
7/24付け日経夕刊でも、与党が、共働き夫婦でも子育てをしやすい職場の環境づくりに向けての基本法、「仕事と生活の調和推進基本法案」(仮称)を制定する方向で検討に入ったとの記事が目についた。企業が作成する行動計画の項目として、「家庭に乳幼児のいる労働者の残業抑制や男性の育児休業取得促進策などを検討している」という。
両立支援のための基本法が出来て、働きやすい会社が増えるのは、とてもいいことだと思う。
でも、ちょっと気になったのが、「育児期の従業員による在宅勤務について、労使間であらかじめ合意した時間だけ働いたといなす「みなし労働制」は、現行では研究者や弁護士らに限られている」という記述だ。こちらは、「検討課題になる見通し」とのことだが、「見通し」というユルさではなく、もっと早急に検討すべき課題のように思うのは、私だけ?
インターネットが一般社会に登場した時、「産業革命以来の大きな革命」だと騒がれて、あれからずいぶん時間がたったけれど、会社の仕事のやり方は、根本的なところでは、意外と変わっていないという気がする。育児中に親にとって、都心まで満員電車で長時間通勤しなくてよい在宅勤務やサテライトオフィスなどが実現したならば、その時こそ、「働きやすい会社」と胸を張って言える気がする。
2006年07月30日
「3人で行こう! 仕事も子どももあきらめない!」インタビュー第2回 <絵画卸会社社長山中満子さん>
投稿者 常山あかね
■美術館巡りの趣味がきっかけで、主婦から絵画卸会社社長へ!
山中満子さん
株式会社アークコーポレーション代表取締役

■チャンスはみんなに来ているけど、つかまえるかつかまえないかは自分次第なんです
「会社を立ち上げた時、妊娠7ヶ月だったんですー」。おっとりした京都弁でにこやかに話すのは、華やかで上品な「関西マダム」という言葉がピッタリの山中さん。
美しいトロピカルカラーで亜熱帯の自然や動物を描く、オーストラリアの女流画家「ジョアン・フック」の日本代理店として会社を立ち上げて、15年。絵画卸売会社社長ということで、特別な経歴をお持ちの方という先入観があったが、「会社を立ち上げるまでは、個人で洋服の卸売をしていたものの、ごく普通の主婦だった」という。
山中さんに転機が訪れたのは、ご主人が「美術館巡りが趣味の妻のために」とオーストラリア土産として買ってきた、1枚の絵がきっかけだ。それが、当時まだ日本では現在ほど知られていなかったジョアン・フックの絵だった。「色使いが美しく、ひと目で心がパァーッと元気になり癒されました。あまりにも気に入ったので、友人たちにも勧めたところ、ぜひ欲しいということになって。私がまとめてオーダーをすることになったんです。一個人が、高額な絵を何度も注文するので、きっと向こうも「いったい何者?」と思ったんでしょうね(笑)」。
普通は、いくらいい絵だと思っても、自分で鑑賞するだけで終わってしまうものだが、それだけで終わらないところが、山中さんのスゴイところだ。仮に絵を見る目があったとしても、私だったら「自分だけのものにしたい」と思ってしまい、多くの友人に勧めるだけの心の広さは、ないだろう。
◆◆
そんなある日、山中さんに、ギャラリーから運命の電話があった。
「ジョアンが来日するので、会ってみないかと言われたんです。てっきり東京か大阪だと思っていたら、なんと熊本! それも30分しか時間がないということだったんですが、いちもにもなく、飛行機に飛び乗り会いにいきました!」。この時の山中さんの情熱が、天職をつかむことにつながった。
半年ぐらいして、ジョアンさんから「正式に日本代理店をしてほしい」という依頼があり、なんと当時妊娠7ヶ月にして会社を立ち上げたという山中さん。しかも初産だ。臨月を目前にして、迷いはなかったのだろうか?
「チャンスを失いたくなかったんです。してみたいと思ったことは、あまり考えずにまずアクションを起こしてみます。英語を勉強したのだって、この仕事を始めてから。頭でっかちになったらおしまいだと思うんです。与えられた環境に対しては受け身で流れをつかんできた。チャンスはみんなに来ているけど、つかまえるかつかまえないかは自分次第なんです」。それに、山中さんが会社設立を決意した理由はもう一つあった。「ジョアンさんは、当時3才ぐらいのお子さんがいてがんばっている女性。そういう点からも、ぜひ協力したいと思って」。
その後、会社を立ち上げてから、3人の子どもを次々と授かった山中さん。海外のパーティーにも大きなお腹に着物姿で臨み、周囲にビックリされたことも。
「あまり計画性はなく、自然に3人の子どもに恵まれたという感じです。たまたま元気だったので、出産当日まで仕事をしていて、翌日には個室で会社の書類に目を通していました。
赤ちゃんはお母さんを選べないから災難かもしれませんが、生まれたときから仕事をしている母親なので、それが自然だと思って育つでしょ?」と笑う。
仕事をしていると、どうしても、毎日、子どもと触れあう時間が限られてしまうが、
「子どもから話かけてきたり身をすり寄せてきたり、私を必要としているときには、何をおいても子どもの方を見て抱きしめて、集中して話を聞くようにしています。量より質が大切」と潔い。夕方の子どもの習い事の送迎は都合がつく限り自分で車を出し、「子どもひとりひとりと個室で話す時間を大事にする」工夫も惜しまない。
■人柄がよかったり、その人の作品に惚れ込んだりで、心から「みんなに広めたい」と思う人との偶然の出会いを大切にして、仕事をしてきました
あくまで自然体な山中さんだが、天職といえる画商の仕事に気負いはない。
「いいものを見つけると、みんなに教えたがりな性格なんです。「聞いて聞いてー」と言わずにはおれない(笑)。世話好きが高じて、マネージメントの仕事に繋がったのかなと思います。
なので、「●●円以上売れる画家を見つけよう」という気持ちはないんです。人柄がよかったり、その人の作品に惚れ込んだりで、心から「みんなに広めたい」と思う人との偶然の出会いを大切にして仕事をしてきました。そういう意味では、野心的に仕事をしているわけではないんですよ(笑)。その分、自分にしかできないスタイルで、長続きしているのかもしれません。」
山中さんにとって、仕事とはなんだろう?
「社会で一生勉強していきたい。たまたま今選んでいる絵は受け身な素材だけど、これまで服飾を勉強したり、美術館巡りをしたりと芸術が好きだったので、それを元に、色々な人と出会わせてもらい、勉強させてもらえてるんです」とあくまでも謙虚だ。最近、仕事を通じて、環境問題にも興味を持つようになったという。「ジョアンも佐藤潤先生も、自然や動物を描いていて、それは大切なモデルたち。その作品を通じて、自然の大切さを知ってほしい。収益の一部をWWWジャパンに寄付したり、環境についてのパネルを展覧会の会場においたりと、私にできることをしています。子どもたちのまたその子どもたちにも、環境問題を伝えることのお手伝いができればと思います」。
山中さんには、いい意味で、周りの人を巻き込んでしまうパワーがある。そして、そのパワーが人を動かし、人と人とのつながりが生まれ、連鎖していくのだ。
山中さんの世界を股にかけたスケールの大きい仕事ぶりを目の当たりにすると、自分がとっても矮小に見えてしまう。山中さんは以前、知人に「子連れ出張など、先方の理解を得てワガママを通してもらえば、それはワガママではなくなるよ」と言われたことがあるそうだ。その言葉を聞いて、「私の仕事のスタイルはこうです。家庭はこうです。それでもよかったらどうぞ」という具合に、理解してもらえる相手と仕事をすればよいと悟ったという。「体当たりしてみてダメな場合は、また工夫すればいい」と柔軟に考えるのがそのパワーの秘訣だ。海外の出張もなるべく子連れで行くことで、子どもの見聞を広めてあげるのが楽しみという山中さん。
固定観念に囚われずに、一歩踏み出せば、山中さんのように、大きな世界が広がってくるのかもしれない。
●●プロフィール山中満子さん 株式会社アークコーポレーション代表取締役。京都生まれ。大学で服飾デザインを学び、卒業後、個人事業で衣料品の卸売りに携わる。結婚後、ジョアン・フックの絵に魅せられ、絵画の卸売会社を設立。同年長男を出産し、現在、二男一女の母。
■3人のお子さんがいてよかったことは?
出張などで留守をしているときは、本当に3人いてよかったと思う。子供の社会ができあがっているから。お兄ちゃんが、お風呂掃除をして、弟、妹を寝かしつける。子供たちも楽しんでいて、そんな姿を見ると、かえって母親がいなくてしっかりしてよかったんじゃないかと思う時がある。
友だちに相談されると、「3人兄弟っていいよー。産みなさい、産みなさい!」とみんなに勧めている(笑)。
■家事・子育てと仕事の両立で意識していること
最初から、専業主婦でいる自分というのは、考えていなかった。子どもが産まれてすぐ、家のお手伝いをしてくれるスタッフを2人雇って、ローテーションで家事全般をしてもらっている。どうしても夫と自分が同時に出張に出るときは、母親に頼んでいる。本当に、周りの人に恵まれたと思う。色々な人の力を借りて、子どもを育てることができている。
子供を外に預けることには、抵抗を感じていた。なるべく家で育てたい気持ちがあって、保育園には入れず、幼稚園に入れた。私がいない時は、スタッフに家に来てもらって育ててもらった。時間も自由になるし、この職業だからこそ、仕事と子育てを両立できたと思う。
これまで夫の理解があるからこそ、仕事を続けてこれた。ただ、会社や育児を手伝ってくれると思っていた夫は、航空・宇宙機器部品などを製造する会社の経営者として忙しく、無理は言えないという思いがある。家事育児は、私だけしかできない、母親でしかできないポイントは押さえるようにしている。
■これまで仕事をやってきて一番嬉しかったこと
自分の誕生日が、東京のジョアンの展覧会と重なり家に帰れないことがあった。ジョアンがそれを知り子供たちと過ごせないことを心配して、私のために花の絵を描いてプレゼントしてくれた。「家族に会えない満子のために」とメッセージを込めて描いてくれた絵が私の宝物だ。
また、以前、ジョアンがオーストラリアのギャラリーを閉鎖することになったので、次男を連れて飛んで行った。その時、みんなの前で、「満子というパートナーと出会って本当によかった」とスピーチしてくれた。ジョアンの絵に憧れてこの世界に入ったので、そこまで評価してもらえて幸せだった。もっとバリバリと働く代理店はいくらでもいるのに、私でよかったと言ってくれたのだ。いいパートナーに巡りあって、私が生かされていると感じた。
■ワーキングマザーやこれからワーキングマザーを目指す方へのメッセージ
リラックスして、気持ちをゆったり持ってほしい。よいアイディアを出してよい仕事をするには、心に余裕が必要。
某ブランド会社の社長は3日しか社長業をせずあとは子供との時間を大切にするそう。
「週5日必ず働かなくてはいけない」という時代でもなく、色々な形態の仕事がある。自分たちの家庭や子どもにあった形態の仕事をしてほしい。子どもは母の背中を見ているし、協力してくれているのを感じる。自信を持って仕事をしてください!
■お知らせ
8/1~8/7まで、日本橋三越で、 佐藤潤氏、ジョアン・フック氏の展覧会を開催中です。ぜひ、山中さんの人生を変えた絵画を生でご覧になってみてはいかがでしょう?
また、今回の展覧会にちなんで、絵画の読者プレゼントをWMS読者に特別にご提供いただきました。応募方法は後日サイトにてご案内します。奮ってご応募ください。
2006年07月18日
「3人で行こう!仕事も子どももあきらめない」インタビュー第1回 <絵本店スタッフ中村朝子さん>
投稿者 常山あかね
■子育てを通じて出会った絵本を職業に
中村朝子さん
こどもの本のみせ「ともだち」スタッフ(共同経営)
JPIC(財団法人出版文化産業振興財団)読書アドバイザー
■子育てが苦手な人にとってこそ、絵本はよい武器になるんです
慶応大学のお膝元、日吉駅から歩いて15分ほどの閑静な住宅地の一角に、こどもの本のみせ「ともだち」はあった。地域で親しまれ、今年33周年を迎える伝統ある絵本・児童書専門店だ。狭い店内に、ところせましと絵本、児童書、絵本関連のキャラクターグッズが並んでいる。
置いてある本は、売れ筋というよりも、選書へのこだわりや愛情が感じられる本ばかり。自分のお気に入りの本の数々も、ちゃんとこの店には並んでおり、まるで家の本棚のような心地よさを感じて、思わず小躍りしてしまう。
そこに、TシャツとGパン姿で忙しく店番をする中村さんの姿があった。この店の共同経営者として、スタッフをやりはじめて5年。中村さんの勤務は、土曜日の店番と平日1~2日程度の出勤、自宅でのPC作業が中心だ。小さい書店なので、店番、仕入れ、WEB制作、イベント(読み聞かせの会)からすべてを担当している。専門書店ということで、現在売り上げは上り坂ながらも経営は厳しく、スタッフで分ける報酬も、時給にしてわずかだという。

もともと、さぞかし絵本に興味があったかと思いきや、大学の理工学部を出てメーカーで携帯電話の設計開発の仕事をしていた中村さんは、子どもが産まれる迄は「絵本には全然関心がなかった」という。
中村さんが絵本に興味を持ったのは、子どもに初めての絵本を買い与えたことがきっかけだった。
「まだ小さいのにシーソーの話を選んでしまったんです。1才くらいなので、重い軽いもわからず、反応もなく大失敗。我ながら、とんちんかんなものを選んでしまったと落ち込みました(笑)」。
そんな時、パソコン通信の子育てフォーラムに入っていた中村さんの夫が、
「百町森」という有名な、子どもの本とおもちゃの店のスタッフの人らと知り合う。「相沢康夫さんの『好きッ!絵本とおもちゃの日々』のサイン本をもらって。それを読んだら、すごく楽しかったんです。私が知らない最近の80年代くらいからの絵本にもとても面白いものがあるのを知り、絵本の世界にはまっていきました」。
中村さん自身、絵本と接するうちに、小さい頃の思い出がふいに浮かんできたという。
「自分には、絵本といえば『ぐりとぐら』『ちびくろさんぼ』とかの思い出があったんです。読んでもらったことは覚えてないんですが、お母さんが眠そうだったことや、本の内容自体は覚えていて、記憶が蘇ってきたんです」。
もともと、子どもと遊ぶのがあまり得意ではなかった中村さんだが、絵本にはまりだしてからは、親子で過ごす時間が楽しくなり、日常生活でも、「あの本に出てたのがあれだね?」と絵本を通じた共通の体験があるため、話題が広がっていったという。「こんなに楽しいならみんなに広めなくちゃ!」というのが現在の仕事を選んだ原点だ。中村さんは、自身の体験から絵本の魅力をこんな風に語る。「子育てが苦手な人にとってこそ、絵本はよい武器になるんです」。
■家事・育児だけをやっている自分は、自分ではないような気がしたんです
その後、中村さんは、地元の図書館で「親子で楽しむ本の世界」という講座を受講。読み聞かせの活動を勧められた。当時、子どもは0才と3才。それまでは、黙々と家で楽しんでいた絵本だが、そのよさを広めたくて、地域の読み聞かせの会のボランティアに参加。そのメンバーの中に、こどもの本のみせ「ともだち」の元スタッフがいるのを知り、積極的に見学に行かせてもらったり、「何かお手伝いができれば」とさりげなく伝えておいたという。
ある日、その知人から、「ともだち」の経営が思わしくなく、新しい経営スタッフを募集していることを聞き、「夫のいる土曜日の1日だけでも仕事をしたい」という思いで「いちもにもなく飛びついた」という。
当時、3才と5才のお子さん2人を抱え、不安はなかったのだろうか?
「家も遠かったけど、このチャンスを逃したくなかったんです。やりたいことを我慢できないタイプなんですね。正直、家族に気兼ねする気持ちはありましたが、すぐに主人を説得しました」。ほどなく、3人目の子どもを出産したが、店番ができない間も、自宅でできるメールの仕事や、書店のホームページ作りに励んだ。
読み聞かせの会の先輩の中には、中村さんの大変そうな様子を見て、「子どもが手を離れてから、活動してもいいんじゃない?」というアドバイスくれる人もいたという。
「家事・育児だけをやっている自分は、自分ではないような気がしたんです。やりたいと思ったことは、何をおいでてもやりたかった。
子育てが終わってからというのでは、3人も子どもがいるので、活動をはじめるまでに十数年もかかってしまう。我慢したら、きっかけを失うと思いました。それに、子どもが小さい時期だからこそやりたいのかもしれない。自分の子どもに絵本を読むだけではなくて、他の人に発信したかったんです。
そうすることで、子育てを終えたときは、もっと花開いていたい。きっかけは子どもだったけど、子どものためにはじめたわけではないんです」。
子どもたちは、たまに「絵本は好き?」と他人に聞かれると、「(絵本は)お母さんが大好きなの!」と答えるという。「自分が輝いていれば子どもにもきっとよい影響がある」というのが、中村さんの信念だ。
■自分の夢の仕事と、お金を稼ぐための仕事を上手に使い分けて目標へと進む
「その子が大人になったときに、記憶に残る、親子のお気に入りの1冊を生む手助けをしたいんです。母親が読んでくれたという思い出は記憶に残ります。時間があっても子供と遊ぶのが苦手な人にも、絵本はよい武器になります。忙しく働いているお母さんでも寝る前に1冊本を読んであげることで、子どもの思い出に残ると思うんです」。熱心に語る中村さんの言葉には、経験に裏打ちされた説得力がある。
将来の夢は、「自分で新たに絵本の店を開くこと」。
夢を実現する資金を貯めるために、書店の店番がなく子どもが幼稚園に行っている平日の数時間、パートで経理事務の仕事もこなしているという。自分の夢の仕事と、お金を稼ぐための仕事を上手に使い分けて目標へと進む。これが中村さん流のワーキングスタイルだ。「生涯を通じてできる仕事を見つけることができました」と微笑む中村さんの顔には、地に足の着いた自信がみなぎっていた。
好きなことにとことん夢中になれるって羨ましい。私も絵本は好きだが、中村さんほどには好きじゃないということがよくわかった。こじんまりとした書店の中を、所狭しと働く中村さんのキラキラとした笑顔が、どうしようもなく羨ましかった。

●●プロフィール
中村朝子さん。現在、横浜市港北区日吉にある絵本児童書専門店 こどもの本のみせ「ともだち」スタッフ(共同経営)。JPIC(財団法人出版文化産業振興財団)読書アドバイザー。大学理工学部卒業後、メーカーで携帯電話の開発の仕事に携わるが、出産を機に退職。2002年より現職。3児(1男2女)の母。
■3人のお子さんがいてよかったことは?
産むならとことん3人産みたかった。たくさんの兄弟の中でたくましく育てたかったので。3人いてよかったことは、子どもが大きくなると、お互いが世話(遊び)をしてくれること。それぞれの年代でそれぞれの感じ方があり、それが集団で絡み合い面白い。3人各々個性があり、絵本を読んで反応を観察できる。現在の仕事も、子育ての経験をアウトプットすることで、プラスになっている。
■家事・子育てと仕事の両立で意識していること
家事はお母さんの仕事ときめつけずに家族で分担してやること。子供が「お手伝いをやる」というのはおかしい。家事はお母さんの仕事ではなく、みんなでやる「家の仕事」。「夫に家事をしてもらう」という考えはよくない。「家の仕事は家にいる人がやる」という概念を家族に植え付けて、自分自身もラクになった。「土日は必ず1コ仕事をやること」など、家族でルール決めをしている。
■これまで仕事をやってきて一番嬉しかったこと
小さい頃読んだ本を探しに来た人が、その本を見つけて喜んでくれたとき。自分がアドバイスしたプレゼント用の絵本が子どもにすごく喜んでもらえたというメールをもらったとき。自分がやったことによって、ポッと温かい瞬間が生まれたのを感じることができたときが嬉しい。
■ワーングマザーやこれからワーキングマザーを目指す方へのメッセージ
固定観念を捨て、やりがいとお金のバランスを見ながら、色々な形の仕事をうまく組み合わせて夢を実現してほしい。仮に保育園に入れなくても、延長保育がある幼稚園を選んだり、保育園の一時預かりを利用してもいい。預けることが心配な人も、思い切って預けることで、親子共々充実して成長できると思う。
スペシャルカテゴリ「少子化を解消するワーキングスタイルとは?」
投稿者 常山あかね
先日、厚生省の国立社会保障・人口問題研究所より、第13回出生動向基本調査結婚と出産に関する全国調査「夫婦調査について」が発表されました。
結婚15~19年の夫婦の出生児数は、これまでの2.2人前後から、2.09人に減少。理想の子どもの数は2.4人と、はじめて2.5人を下回ったそう。また、子ども3人を持った夫婦の割合が減り、1人っ子、子どもなしの夫婦が増えています。1960年代生まれの母親の出生地からが低下しているという興味深い結果も!
実際に子供を産むつもりの予定数(2.11人)が、理想の子供数を下回っているおもな原因は、
「子育てや教育にお金がかかりすぎる(65.9%)」を筆頭に、「高年齢で産むのはいや」「育児の負担に耐えられないなど」。また、「自分の仕事に支障がある」「夫の協力が得られない」などの理由も少なくありません。
出生力が低下している顕著な世代である1960年代生まれの私としては、周りの友人を見渡して、少子化解消の鍵を握るのは、「仕事」「お金」「夫の育児参加」ではないかと感じます。
つまり、企業に勤務している女性は仕事のキャリアを失いたくなく、一方、仕事に就いていない女性は、教育費など子育てにかかるお金に不安を感じています。また、男性がおもな稼ぎ手になっている
多くの家庭では、男性の育児参加の時間は、物理的にほとんどありません。(特に平日!)
そして、3人以上の子どもを持っている女性に、SOHOスタイルでの自営業や会社経営者(起業家)が多いという事実にも、気付きました。
私自身は、長男が産まれてから、ずっとSOHOスタイル(自営業)で仕事をしてきました。今は、3人の子どもがいます。子どもが2人のころは、「私もいつかは社会復帰して、都心で働きたいなぁ」と密かに会社勤めにも未練を持っていましたが、子どもが3人になった時点で、「会社員としてやっていくことは物理的に無理!」と気持ちが吹っ切れ、SOHOスタイルで仕事をしていく覚悟のようなものができました。
実際に、このワーキングスタイルで仕事をしてこなかったら、近くに実家があり親の支援が受けられるわけではない状況で、働くこと自体が困難でした。今後も、このスタイルを続ける限り、無理なく仕事も子育ても両立できる気がしています。
そこで、このワーキングスタイルを広めることで、少子化が解消されるよい循環ができるのではと思いました。「女性がキャリアを生かして仕事を続けることができる→金銭的に余裕が出る→夫が過剰な労働から開放され子育に参加できる」という構図です。
多くの方の参考になるようにと、7月から連載を開始する「3人で行こう!~仕事も子どももあきらめない」のインタビューでは、子育てと仕事を両立できる独自のワーキングスタイルを実践されている方々から、お話を伺うことができました。
こどもの本のみせ「ともだち」のスタツフ中村朝子さん、イタリア食材の店「トスカニーワインハウス」店長吉田亜樹子さん、授乳服「モーハウス」代表の光畑由佳さん、画商会社「アークコーポレーション」代表の山中満子さん、そして、本日取材させていただくのは、新著『未妊』が話題のお産ジャーナリストの河合蘭さん。これからも、色々な方のワーキングスタイルを紹介させていただくことで、この潮流が少しでも広がればと願っています。
スペシャルカテゴリ「はじめに」
投稿者 常山あかね
「少子化を解消するために何か役に立てたら」と最近、痛感します。
近頃、少子化のニュースがよく目につくようになりました。2005年の合計特殊出生率は1.25。政府の予想より2年早く、統計史上初の日本の人口の自然減少がおこっています。
そこで、「私にできることは何かな?」と考えた結果、その第一弾として、自分自身の3人の子育てとライターの仕事の経験を生かし、「3人の子どもを育てながら、独自のワーキングスタイルで好きな仕事をして輝いている女性たちのインタビュー」をブログに連載していこうと思いたちました。与えられた仕事ではなく、自らの意思でどうしてもやりたかった、はじめてのインタビューです。
これまで快く取材させていただいた皆さま、本当にありがとうございました。
有名無名問わず、私が「これぞ!」と思った方々に、お話を伺わせていただくことができました。皆さんキラキラと輝いていて、驚きの連続とともに、圧倒されっぱなしです。私も、知らず知らずのうちに、自分の行動範囲や行動を限定して生きていたのだなと気付きました。
7月から、インタビュー記事を少しづつアップしていきたいと思います。
さまざまな理由から、働きながら子どもを産もうかどうか迷っている皆さんの、何かのお役に立てればと思っています。乞うご期待ください!
2006年07月14日
M字カーブは解消に向っていない?
投稿者 常山あかね

「M字カーブ」という言葉をご存じでしょうか?M字というと、思わずインリンを思い浮かべてしまう方(私だけ?)もいるかもしれませんが、M字カーブとは、「女性の労働力率(有業者と失業者の合計が人工に占める比率)が、出産・育児期の30代をピークに、一時的に落ち込む現象」を言います。
昨日の7/13付け日経新聞朝刊に、そのM字カーブについて、興味深い記事が出ていました。
内閣府の調査によると、出産・育児を機に仕事を辞める女性が増える「M字カーブ」が、2002年の調査では、1987年と比較して、見かけ上は改善しているように見えるというものです。
しかし、特に25~29才の女性の労働力率が著しくあがっているのは、女性の晩婚化や非婚化、晩産化によるもので、女性の仕事と子育ての両立が進んだわけではないそうです。欧米主要国ではM字カーブ現象はほとんど解消されており、OECD加盟国で今もM字カーブが確認できるのは、日本と韓国だけというあまり喜ばしくない話も。
一方、厚生労働省の調査によると、「社員が仕事と子育てを両立できるような支援が手厚い企業は業績もいい」そう。社員のやる気や、一人当たりの経常利益も高く、採用に関しても、質・量ともに必要な人材(新卒)が確保できた確率も高いという、納得できる調査結果も。
極めてあたりまえのことだけど、「子育だけでもイヤ、仕事だけでもイヤ」という、仕事と育児を両立したい多くの女性が満足できる働き方が普及して、初めて少子化が解消されるのではと強く思いました。
2006年07月04日
3人産むなら福井県?
投稿者 常山あかね

今日、NHKの朝のニュースを見ていたところ、出生率の低下の続く全国で、唯一、出生率が上昇している県があり、それが福井県だそうです。福井県は、2006年度から、第3子以降の妊婦健診と、3歳までの保育料を原則無料とする「ふくい3人っ子応援プロジェクト」を始めたことで話題に。働いていない母親への支援として、保育所での子どもの一時預かりも無料だというから本当に羨ましい限り。
医療費についても、既に2001年から、3歳未満のすべての乳幼児と、3子以上の世帯の子供を就学まで全額公費負担にしているそうです。ニュースでは、福井県在住の子育中の女性が何人か取材されており、「3人子どもがいて本当にラッキーです♪」と笑顔で答えていたのが印象的でした。
福井県は、そもそも3世代同居や共働き家庭が多いという地域特性もあると思いますが、自治体の少子化対策の効果が顕著にあらわれたよい例ではないでしょうか。
金銭的なことばかりではなく、子どもを産むことが歓迎されるという風潮も、出生率の上昇に一役買っている気がします。
世界的に見ても、少子化を克服したフランスやデンマークなどは、政府の少子化に対する手厚い対策が功を奏したと言われています。
私の住んでいる横浜市では、子どもの人口が多いこともあり、すべての世帯が受けることができる少子化支援は「0歳児の医療費無料」と極めて限定的。人口の多い都市部の少子化対策がどのようになるのか、今後目が離せませんね。

2006年07月03日
子育てブログ「うちの3姉妹」に学ぶ
投稿者 常山あかね

みなさん、「うちの3姉妹」という爆笑育児日記ブログをご存じですか? アメーバブログの育児部門で人気ナンバー1の、超話題のブログです。そのブログが本になったということで、先日、お仕事で、作者の松本ぷりっつさんのインタビューに伺いました! → インタビューはこちら。
実際のぷりっつさんにお会いして素敵だと思ったのは、その外見もさることながら、子育てをひっくるめて「今」を心から楽しんでいるところ。育児ブログを書かれているということで、さぞかし育児の世界(際限なく奥が深い!)にはまっている方かと思いきや、意外にも、趣味で競馬ブログを運営していたり、夢は馬主になることだったり。よい具合に肩の力が抜けていて、私よりだいぶ若い方なのに、本当に人生を楽しんでいる感じがして、羨ましく感じました。私も、何か子どもたちの成長記録をつけておけばよかったな~とちょっと後悔。
少子化問題の解消に必要なのは、難しい理屈や制度ではなくて、「心の底から子どもを可愛いと感じる瞬間をどれだけ持てるか」ではないかと思います。この「うちの3姉妹」を読むと、そんなあたりまえのことが、胸に響いてきます。ひとしきり爆笑したあと、ほのぼのと温かい気持ちになるブログです。
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