投稿者 竹之内ふうこ
晴天の霹靂だった海外転勤話を書いてから、随分と時間が空いてしまいました。
無事に家族で引越し、現在、上海生活2ヶ月半が過ぎようとしています。
夫の上海転勤、家族の帯同・・。
この3カ月、まさに怒涛の日々で、既に半年前のことは忘れかけていますが、今回は当時の娘たちの反応について書きたいと思います。
「○○ちゃん(当時中1長女)、よく行くって言ったねー。」
と、当時は本当によく聞かれたものです。
本人、実はあまり真剣に考えてなかったのかも・・とは今でも思うのですが、とりあえず、本人の意思であったことは間違いありません。
昨年12月、突然の上海転勤の話に、全く一緒に行く気のなかった私が、
「お父さん、転勤だって〜。中国の上海に。でも近いからしょっちゅう帰ってこられるって。」
と、単身赴任確定の口ぶりで私が伝えた時は、ちょっと驚いたものの、女の子ですし、父親大好き!という年頃でもないので(当時、小3と中1)、娘たちの反応もさらっとしたものでした。
その後、私が「やはり家族で行った方がいいのかも・・いや、行かなきゃ。」と思い始めた時、やはり一番のネックは中1の長女でした。
学校生活にも慣れ、部活(バスケ)も楽しい、勉強のペースもできてきた、友達と遊び歩く楽しさも覚えた、そんな頃だったので。
「行く」というはずがない・・と思っていました。
そこで、まずは、娘と一緒に上海のことを調べ、興味を持たせるところからスタートしました。
東京と変わらないくらい都会であること
東京から飛行機でたった3時間で行けること
日本人がとても多い都市であること
日本人学校がものすごく立派であること
上海の教育レベルの高さ
などなど。
まず娘が食いついたのは、やはり学校のことです。
日本人学校とは・・という説明から始め、まずはホームページを見せてあげました。
数年前、東京で私立中を見学した時に、その施設のすばらしさに腰を抜かしたものですが、それに全く引けを取りません。
でも実は、何より娘を釘付けにしたのは、「私服&共学」ということでした・・そんなものです・・
中1にして、美容とファッションに命をかけてる子でしたから(汗)
それと、学校で覚えてきた「帰国子女」という憧れの響き。上海に行けば自分も帰国子女になれる?と漠然と思っていたことでしょう。
もう一つ、既に渋谷原宿で遊び歩く楽しさを覚えていた都会っ子の娘は、「渋谷みたいなところある?」と聞いてきました。
「あるよあるある、プリクラもカラオケもあるって書いてあったよ」と答えておきました(笑)
なかなか好印象だったようなので、数日後、一緒にお風呂に入っている時に
「一緒に行くっていう手もあるんだよ?でも○○は行きたくないよね〜?」
と聞いてみたら、
「ええ、そうなの?全然行ってもいいよ!ていうか、行きたい!!」
と、ウキウキの娘。
この子は何も分かっていないんじゃないだろうか?
それなのにこんなに簡単に決めていいのか?
と、こっちが少々不安になりましたが、なんとかなる!とりあえず決定ね!と、家族帯同決定。
ちなみに、通っていた中学校は、高2いっぱいまでは籍は残しておいてもらえます。
「また戻れる!」というのも、娘の「行く!」になったんだと思います。
さて、忘れ去られた当時小3次女ですが。
かわいそうなことに、彼女に選択権はありませんでした。事後報告です(笑)。
彼女はどこでもやっていける子、という確信が、母親の私にありましたので。
「お父さんについて上海に行くからね!今の学校は3月までだから、しっかり楽しんでおこうね!」と。
それから引越しまでの3ヵ月間は、家族全員、慌ただしい日々を送っておりました。
娘たちにとって、初めての転校です。
震災があり、日本中が大変な時期で、特に次女は震災以降ずっと休校で、学校のお友達とはきちんとお別れもできませんでした。
そんな中でも、お友達の大切さ、ありがたさを、しみじみと感じた時期だったと思います。
こちらに来ていろいろな方とお話していると、やはりお子さんが来るのを嫌がった、というご家庭も多いです。
1年だけね、と、なんとか説得して、ほぼ無理やり連れてきたというご家庭も。
それでも大抵は、「嫌がっていた子ほど楽しんでいるのよねー」という話になります。
我が家は、現在、2人とも日本人学校に通っています。
まだ2ヶ月半ですが、学校はとても楽しいようです。
案の定、我が家では次女が一番こちらの生活をエンジョイしています。習い事や塾から解放され、放課後にお友達と遊び倒す姿、生き生きしてます。
長女は、共学&私服の学校生活はかなりエンジョイしている様子。でも、街を遊び歩くという自由がないので、そこはちょっとストレスみたいで、暇を持て余してます。
悔しければ、中国語覚えて生活力を付けなさい!
と言ってます。これから徐々に・・ですね。
こんな感じで、上海生活を開始しました。
私はというと、時間があり余るこちらでの生活、またもや教育ママゴンの血が騒ぎ出し、娘たちの今後の教育についてガツガツ検討中です。
せっかく外国にいるんだから!と、インター校を物色中♪
上海の学校事情、はたまた、海外での子供の教育、などなど、教育ママゴン心をくすぐる課題も盛りだくさん!
あんなこんなの上海を、これからも綴っていきたいと思っております♪
「転勤」は、忘れた頃にやってくる!(1)
被災地の方への活動〜上海編
投稿者 森マキ子
今回の地震は上海の職場で知った。午後、同僚が「日本で大きな地震があったみたい」と言い出し、ネットを使って情報を集め、報告しだした。にわかには信じられないような内容だった。帰宅してから夜更けまでニュースを追い、あまりの悲惨さに泣くしかなかった。
私は神戸の出身だが、阪神大震災当時はすでに大学生で地元を離れていた。私はぼろぼろになった神戸の景色を見るのが恐ろしく、また自分が行っても邪魔になると思い、震災からほぼ1年経って初めて帰省した。当時はインターネットも携帯電話もなく、高校時代の友人何人かとは今も音信不通になったままだ。あの当時、私がしたことは、被災した叔父叔母にセーターを買って送ったことと、わずかな募金をしたことだった。自分の無力さを感じずにはいられなかった。今でも、なにかもっと故郷のためにできたのではなかったかと悔やまれる。
さて今回の地震後、勤め先(日系)ではすぐに募金が行われた。在住の日本人による震災地への義援金募集もどんどん始まっている。私たちが気軽に募金できるよう具体的な活動をされている方々には心から感謝したい。私もうつうつとしていられない。先週末に娘と訪ねた2カ所の活動を紹介したい。
ひとつ目はPeas&Podsという上海在住の国際色豊かなママたちのグループが企画したチャリティバザー。このバザーの入場料、出店費用、ケーキの売り上げは、中国国内外の子供を対象とした活動に寄付されるようである。今回、日本人グループによる出店があり、この売り上げはすべて震災被災地のために日本赤十字へ寄付されるという。私は絵本を購入し、少しばかりの寄付もさせていただいた。このバザーの商品がなかなか良く値段もリーズナブル。もっと物色したいところだったが、子供がおとなしくしておらず、ゆっくり見られなかったのが残念だった。場所は、ホテル•ホリディ•イン。20元で利用できるキッズスペースやおむつ交換用ベッド(トイレ内)もあり、ママたち手作りのケーキも絶品だ。定期的には行われていないようだが、小さな子供連れで出かけても安心のお薦めイベント。

写真はキッズスペースにて。あちこちでよく見かける「砂絵」。シールをはがして、色つきの砂をのせる。
ふたつ目はSAPPOROショートフェスト in 上海。
札幌で行われているフィルムフェスティバル
のダイジェスト版を上海で紹介するというイベント。ドリンクの売り上げは、日本赤十字に寄付されるという。また、入り口には募金箱も置かれていた。入場料のかからないイベントなので、映画館に来たと思ってお金を寄付できる。こういう寄付の募り方、芸術もなにかできるということの現れのようで大歓迎。
お金では人の命も街も戻っては来ないけれど、寄付は現在上海にいる自分ができるベストのことだと考える。これからもこういう活動があれば、ぜひ参加していきたいと思う。
2011年03月01日
「転勤」は、忘れた頃にやってくる!(1)
投稿者 竹之内ふうこ
ほんとに忘れてました。
うち、転勤族でした。
辞令が出たのは、去年の12月1日。
辞令が出る日ということすら知らなかった私に、夫から一通のメールが。
「異動になった。大変なことになった。」
と(汗)あららら。
長女が中学受験をして私立中に入学したばかりなので、今後転勤になったら単身赴任だね・・という話はしていた矢先。
なので、異動&単身赴任は、まぁ一大事ではありますが、「大変なことになった」という意味が分からなかったのです。
それで、
「どこ?」
と聞いたら、帰ってきた答えは、なななんと、
「上海」
へ??上海って、あの上海??なぜに海外??
晴天の霹靂とはこのことです。
夫のタイプ的に、海外は全くないと確信していましたので。
うううううううむ。
万博にもそれほど興味を抱かず、恥ずかしながら、「中国」に対しては「避けられるものなら避けて通りたい」というネガティブな感情しかなかった私。
上海という都市についても、ほとんど何も知らなかった私は、その後数日間は、自分たちがついていくことなど、これっぽっちも考えていませんでした(汗)
ところが。
夫を訪ねていくこともあるだろうし、どんなところなのかな・・と調べ始めると。
意外とキレイなところなのねー。
へー、都会なんだー。
おや、随分と日本人が多いのねー。
わおー、なんて立派な日本人学校なの!
なになに?国際学力テスト、どの科目も上海がトップ独占じゃない!
もしかして子供たちのためには行った方がいい?
日本に帰りたくないっていう人が多いだなんて・・どんなに楽しいの??
無知とは恐ろしい・・と、思い知りました。
もちろん、子供たちと私のことだけじゃなく、夫のことも考えましたよ(汗)
中国でビジネスをするのは夫、つまり、心身共に、一番キツイ状況になるのは夫。
一緒にいれば、お腹壊した時にはおかゆを作ってあげられる。
うまくいかずウツウツとしている時には、気分転換に外に連れ出せる。
仕事から帰ってきたら、明るい家とご飯が待っている。
仕事のことで力にはなれないけど、これだけでも随分違うよね・・と。
何より、同じ異国の地で、子供たちが逞しく成長していくのを見られるのは、夫にとっても何よりの励みになるのでは?
それからというもの、私は、自分が信頼・尊敬する方たちに相談しまくりました。
すると彼女たちは、皆口をそろえて、「行くべき!」と。
そうか、そうだよね。
よし、行こう! 家族で行くぞ!
そう決めたのは、12月中旬のことでした。
人生、何が起こるか分かりませんね。
私たち家族にとって、最大の転機。
次回は子供たちの反応について書きたいと思います。
ううう、出発まで1カ月を切りました。
家のこと、学校の手続き、引越しのこと、ほぼすべてこれからですが、なんとかなるんでしょうか(笑)
2011年02月08日
春節の上海から
投稿者 森マキ子
中国は、春節のお休み中。旧暦のお正月だ。今夜は、お金の神様がやってくる!とかいう日で、外は盛大に花火があがり、爆竹が鳴らされている。お金の神様の気をひくためなら、「どんどん鳴らしまっせ〜」と、まあ、にぎやかだ。
振動に反応してバイクに取り付けた防犯装置が鳴りだしたりして、さらにうるさい。娘は、一度目が覚めて「ふえ〜ん」と泣いたけれど、ミルクをあげると、また眠りの中へ。なかなかたくましい。我が家もこれまで縁が薄かったけれど、来年は、ちょっとパンパンならしてみようかと思う。
屋根のすぐ上で花火が上がる。
大晦日もなかなか賑やかだった。年越しの前後には、家の中まで火薬の臭いであふれ、外の空気は煙で白く濁り、空はずっと赤白く明るかった。空襲ってこんな感じではないかと想像する。密集した高層建築の間で、一般市民が日本の花火大会級の花火を上げるので、これでよくぞ大きな火災が起きないものだなと思う。マンションの高層階の場合、窓ガラスが割れることもあるらしい。
新年には、いろんな方から、携帯にショートメッセージを頂いた。干支をメッセージに取り込んだものが、面白かったので、倣って書いてみよう。
「ウサギのような優しさ、ウサギのような温かさ、ウサギのような健康、ウサギのような逞しさをこのサイトを見てくださっている皆様にお祈りします。新年が跳躍のウサギ年になりますように!新年快楽!」
ショッピングモールのデコレーション。
春節中は、人が少なくて、写真がとりやすい。
中国パワーを体感したい人、非現実的な夜を体験してみたい人、ぜひ一度、中国で春節を過ごしてみてはいかがだろう。
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