投稿者 唐土かほる

唐土です!
「今年の10大ニュース」とか「今年のヒット商品ランキング」なーんて特集が、メディアのあちこちで見られるようになってきて、「あー、どんどん年末に向かっていってるのねぇ」と落ち着かない毎日を過ごしておりますが、来年の手帳だけは早々にゲットしました。
今年もフランフランで購入。
A5版サイズの手帳で、毎年、デザインが変わります。・・・というか、デザイナーが変わるようです。今年はフランスのデザイナーものだったようで「Agenda2005」と表紙に書かれています。来年はスペイン(?)のデザイナーBRUNO MUNARI氏のデザインで「DIARIO2006」と書かれています。
この手帳シリーズ、今回で3冊目。以前は皮製のシステム手帳を使っていたんですよ。ミニ6穴サイズから始まって、バイブルサイズにある年買い換えて、何年か使っていたのですが、皮製のカバーが汚れてきたのと、リフィルを買い換えるのが面倒になってきたのと、なんか人と違った手帳が欲しくなったのと・・・で、一昨年の秋からあちこちのお店をのぞいては探していたのです。
私はメモ魔ではないのですが、ビジネスの場で手帳が手元にないととっても不安になるタイプ。そんな私の手帳の必要要件は次のとおりでした。
・1時間刻みでスケジュールを書き込める
・見開き1ページで1週間のスケジュールを書き込める
(以前は1日見開き1ページのリフィルを使用していたのですが、ちょっともてあまし気味になったのと、リフィルをしょっちゅう買い換えないといけないのが面倒になってました)
・見開き1ページのカレンダー形式の月間スケジュール表がある
・白紙ページも欲しい
・できれば鉄道路線マップも欲しい
・毎日持ち歩くので重くないもの、かさばらないもの
・見た目がおしゃれなもの
システム手帳だといろいろあるのですが、なんとなく飽きちゃったんですよね。でも、それ以外の手帳だとなかなかイメージ通りのものがなくて・・・。
やっとイメージ通りのものにめぐりあえたのが、会社の近くの『フランフラン』のお店。
厚さは1cm足らずで、表紙にはビニールカバー付き。このカバーの裏側に名刺をはさんだり、メモをはさんだりできるので、結構便利です。お値段は確か1500円ぐらいだったと思います。
見開き1ページに3年分のカレンダーがまずあり、その次に「年間スケジュール」が一目でわかる見開き1ページ1年分、1月から12月まで12列のカレンダーがあります。私はここに家族や友人のバースデーを書き入れています。

そして、見開き1ページの1ヶ月カレンダーページが10月から翌々年の1月まで16か月分。ここには主にオフの予定(来客、訪問、子供のおけいこごと、幼稚園の行事)や飲み会などをざっと書きとめています。
続いてメインのページが始まります。見開き1ページで1週間分のスケジュールページ。月曜日から始まり日曜日まで全部で7列のスケジュールを書き込める欄があります。それぞれ朝8時から夜22時まで1時間単位で書き込めるようになっています。毎ページ、左端に当月と翌月のミニカレンダーがついているので、いちいちカレンダーページをめくる必要がありません。「Notes」と題された「ToDo」項目を書き込めるスペースもあるので、「今週こなさないといけない仕事」をダーっと書いておけます。あと、下の方にもメモれるスペースあり。ちょっとしたメモならこのスペースで十分。
この週間スケジュールページは10月から翌年12月まで15か月分用意されていますので、早めに新しいスケジュール帳に切り替えるもよし、新年から新しいスケジュール帳をおろすのもよし。
後ろの方には罫線だけのメモページが10ページ、方眼紙タイプのメモページが13ページついています。そして、簡単な6カ国語の辞書(?)も!日本語・英語・フランス語・イタリア語・スペイン語・ドイツ語で数字(Number)や飲食関係(Dining)、生活全般、簡単な会話(挨拶、いくらですか?、今何時ですか?・・・)などが表記されています。私自身はほとんど使う機会がないけど、人と場合によっては便利かも。
私が切望していた鉄道・地下鉄路線マップもちゃーんと付いてました。東京・大阪・名古屋・京都・神戸・札幌・横浜・福岡バージョンです。そしてニューヨーク・パリ・ロンドン・ミラノ・香港・台北・ソウルの路線マップもあり。私には必要ありませんが、これまた必要な方もいらっしゃるかも。
アドレス帳は別冊でついています。「アドレスや電話番号は全てケータイに入力」という方ははずしてしまってもいいかもです。
かくして、今のところ私は自分の手帳に大満足していますが、手帳の使い方・選び方って人それぞれですよね。その人のビジネススタイルやライフスタイルやマメ度・ドタバタ度・性格などにも大きく左右されるようです。自分にとってどんなスタイルが一番落ち着くか、模索してみてくださいね。

一時期はやった「手帳術」関係の本、あまり読み漁ったわけではありませんが、佐々木かをりさんの「ミリオネーゼの手帳術」は面白い一冊でした。
中でも最も印象的だったのは「仕事もプライベートも全部私の時間、だからスケジュールは同じ手帳に書く」という点でした。
それまで私の手帳はビジネスオンリーで使用していました。休日の予定は主にキッチンに貼っているカレンダーに書き込んでいたんですよね。来客の予定とか、双子のおけいこごとの予定とか・・・。
で、2度ほど大失敗したことがあったんですよねー。
ビジネスの場では、ダブルブッキングとか、待ち合わせ時間を忘れたりしない私なんですが、オフの予定は油断しがちなのか、予定日時をうろ覚えで帰宅し、カレンダーに記入するのも忘れたりして、双子のピアノのレッスン時間を一度間違え、マンションの理事会に完全遅刻したことがあるんです。どっひゃー!
ピアノのレッスンは先生から電話をいただき、大慌て!その週はあえなくキャンセル。
理事会は我が家が理事長であったにも関わらず、出席していなかったので、管理会社の担当者から電話があり・・・その時点で、私も双子もまだパジャマだったんですぅ。(日曜日の朝のことでした)しかも、運悪く夫はバンドの仕事に出かけていて・・・もう大焦りでした。
社会人として、オフの予定管理も大切ですよね。以来、オフの際も手帳を持ち歩くようにしている私です。
P.S.ちなみにオフィスではグループウェアを用いて、チーム内でスケジュールを共有できるようにしているのですが、やっぱり手帳にも記入して持ち歩かないと不安なタイプ
再就職と同じ気持ちで
投稿者 桜乃ゆめ
桜乃です。
今週のテーマ「育児休暇後の職場復帰の雰囲気、どうだった?」について。
桜乃も復帰するときに、とっても不安でした。 私の場合1年育児休暇を取得していて、おまけに所属していた部署が解散してしまっていて、本当に「浦島太郎」状態だったんです。 そこで思ったのは、「復帰するのって、ある意味”再就職”と同じなんだ」 って。
そう思うとものすごく気持ちが楽になりました。
再就職すると思えば、「雰囲気が違う」こともすんなり受け入れられるし、「仕事の内容が変わる」ことも納得できます。 そのかわり、 復帰前の自分のスキル、できる仕事についての自己PRは、自分から一生懸命しないといけない、と思いました。
今の世の中1年という時間は、本当に長い時間です。 ビジネスシーンにおいて今は3ケ月先も読めないのが現状でしょう。 ここを自覚していくことも大事なんだと思います。
↓ 桜乃の復帰談はこちらから ↓
「円満な職場復帰の術(すべ)」についてはこちら
2005年03月13日
20代でやっておくことは?
投稿者 桜乃ゆめ
みなさん、桜乃ゆめです。
異業種共同企画の人事研修「女性社員のためのキャリア開発セミナー」のパネラーで参加した際に、受講者から出た質問をまたご紹介いたします。
何人かの方から聞かれた質問なんですが、それは、「キャリアをつくるのに、20代ではどんな事をしておけばいいのでしょうか」というものでした。
「なーる。そういう事を聞きたいのかぁ。みんなまじめだなぁ」とちょっとびっくりいたしました。
(参加者のみなさま、ごめんなさい。不真面目なパネラーで。。。)
私自身20代で経験してきたことって、みんな自分がものすごく興味があったり、気がついたらやっていた事がほとんどだったんです。なので、改めて質問されて、ちょっと考えてしまいました。
で、自分がどうだったか思いおこし、、こう答えました。
「何でもいいので、自分がやりたいことをやることが一番大事かな。それと、たくさんの人と出会う機会を意識的に作るのはとてもいいことだと思います。」
20代の私はまさに、なんでも首を突っ込みたがる典型的な「新しいもの好き」「何でもやりたがり」だったのです。 断言いたしますが、「ビジネスに役立つ」「キャリアにつながる」とかそういう意識ではまったくありませんでした!(笑)
雑誌に載っている新しい習い事もどんどんやったし、海外旅行にも行ったし、コンサートにもいったし、ジャニーズの追っかけもしたし(笑) 本当に、ありとあらゆることに首を突っ込んでおりましたね~。お恥ずかしい・・・。
いろいろな人とのお食事会やコンパにだって顔を出しましたよ~。
異業種交流会?のハシリのような時代。いろいろな自主運営のセミナーなども盛んでした。
その中で、ボランティアでスタッフ参加して、たくさんの面白い方と出会うことができました。
20代でというより、何歳になっても「好奇心」と「出会い」はとても大事だと思うのです。
たしかに、年齢を重ねていくと自分の環境がどんどん変わっていきます。
結婚をして、子供ができて、自分の自由になる時間もたしかに、減ってきています。 会社でのポジションも、20代のころにくらべるとグンと変わってきていて、会社にいる時間もいろいろな意味で長くなってきています。
そういう意味では、20代は自分の時間を一番柔軟に使える時代だと思うのです。
なので、「20代でやっておくことは?」という質問への答えは「好奇心」と「出会い」を大事にすること、なんだと思います。
女性社員のキャリア研修のパネラー を読む!
メンター(Mentor)がいますか? を読む!
2005年03月10日
フォントにもこだわってみませんか?
投稿者 fellow

FONT WIRE 3400
皆さんが私用でPCを活用する機会ってどんな時ですか?私の場合、ネット以外では年賀状などの葉書、宛名ラベル、子供用のお名前シールなどの作成&印刷・・・今はこの程度、かな。そのうち子供関係の役員さんなんかを引き受ける事になったら、もっと作るものが増えるかも・・・(毎年春はビクビクものです)。
これらの印刷物は専用ソフトがあればささっと作ってささっと印刷できちゃいますけど、工夫したつもりでも意外と無個性なものが完成しがち。そこで手っ取り早い一工夫!フォントを個性的なものに変える、だけ。フォントが違うだけでがらっとイメージが変わる事、ありますよね?
PCソフトは購入するのが当然だけれど、フォントはあらかじめPCにインストールされていたり、ソフトのおまけでついていたり、中にはフリーフォントとしてネットで入手できるものもあるので、購入してまで入手するという発想を持たない方も多いのでは?実は私もその1人で、一時期マニアの域に達する勢いでフリーフォント集めに燃えていた事が・・・。ただ、フリーフォントは欧文がメインで、特に実用的なフォントは大抵シェア(有料)フォントなのです。
今年用の年賀状を作成している時にも色々なフォントサイトをうろついていたのですが、その時にたまたま巡り合ったのがこの製品。日本語フォント150書体を含めて全3400書体が1つのパッケージに、しかもこのお値段・・・と驚愕しつつ即購入。既に入手済みのデザイナーフォントも収録されていたけれど、フリーフォントを探し回ってDLする手間を考えたらやっぱりお買い得感たっぷり。
この製品の嬉しいところは商用利用OKな点。WebデザインやDTPなどでもきっと大活躍する事間違いなし!私も今後元を取るべく活用しなければ・・・と、新しいフォント達を眺めてます。(やっぱりマニア?)そうそう参考までに、収録されているフォントの見本はこちらのサイトさんが見易いですよ。
たかがフォント、されどフォント・・・選択の幅が広がる事で納得のいくものが完成する、かも?
※Mac版も2005/3/11に発売予定だそうです。
2004年12月05日
ユニセフの手帳
投稿者 カトウヒロコ
毎年、クオバディスのビジネス手帳を、その年の気分でカバーの色を変えて使っていたのですが、ユニセフのカタログを見ていたら、濃紺のシックなポケット・ダイアリーを発見。クオバディスにもありますが、世界の祝日や時差、国際電話の国番号、度量衡の換算表(英語のレシピ翻訳の時は必需品!)などは、出産前、海外出張が多かった頃は必須情報でした。今は、飛行機に乗ることすら夢フような生活ではあるものの、こういう手帳を日々めくっていると、それだけで、「世界」が意識のうちに入ってきて、視野が広がるような気がします。コンパクトなサイズの割には、スケジュールを書き込む欄が多いのも実用的。ユニセフのロゴも、ほとんど目立たないので、これみよがしがイヤな人にも良いデザインだと思います。
この手帳ももちろんそうですが、ユニセフの商品を買うことで、世界の子どもたちの健康や人権を保護するプログラムを金銭的に支援することができます。国連機関には、いろいろな批判がありますが、国連機関でなければできない活動というのもあると思いますので、私自身は、毎年のグリーティング・カードはユニセフのものを使っています。ユニセフのカタログには、定番のグリーティング・カードの他、デザインのきれいなレターセットなどもあり、個人的には、こちらもおすすめです。
2004年11月10日
オリジナルドメインを持とう!
投稿者 常山あかね
SOHOで仕事をやる上で欠かせないのは、自分のホームページを持つこと。顔が見えないインターネットの世界だからこそ、名刺件営業資料を兼ねるホームページは、信頼してもらえるものにしたい。とはいえ、私も、最初は手作り感漂うホームページで、「ねえ、もしかして、仕事頼んでいいの?」と聞かれるような、営業マインドに乏しいページだった。(^^;
しばらく前に商用らしいページに作り変えたところ、それが原因か定かではないが、新たに、大手の会社の仕事を定期的に受注できることになった。何よりも、「こんな仕事ができますよ。ホームページを見てください!」と自信を持って言えるようになったことが、精神的に前向きになれて、とても効果があったようだ。自分で作る自信のない人は、思いきって、プロに頼んでみては。ちょっと高いかなと思っても、きっとそれ以上の効用があるはず。
また、ホームページを持つ上で、一番重要なのは、ドメイン。お店の広告などで、幾つも階層がある長~いURLを見ると、それだけでも見る気が失せてしまうというもの・・・。
プロとして仕事をやるなら、やはり、覚えやすく信用のおける、オリジナルドメインの取得が必要だと思う。例えば、会社組織なら【co.jp】、ネットワーク関連の事業をやっていれば【ne.jp】が信頼性が高くもちろんよいのだが、個人の場合は、汎用JPドメインと言われる【.jp】がオススメ。日本国内に住所があることがわかってもらえるし、何よりも短く覚えやすい。あわせて、最近では、漢字や平仮名、カタカナOKの日本語JPドメインもかなり市民権を得てきたので、要チェック。(ちなみに、【.jp】は、一人幾つでも取得可能。)
例えば、このサイトのドメインは、【WMstyle.jp】だが、【ワーキングマザースタイル.jp】、【働く母.jp】などの覚えやすい日本語JPドメインも、同時に取得できる。ただし、日本語は、プラグインがないとまだ表示できないブラウザもあるので、最初は、サブとして取得するとよいかも。
(私は、早い者勝ちと聞いて、日本語jpドメインもしっかり押さえました!)
「鶏が先か、卵が先か」という議論もあると思うけど、「まずは、形から」の精神で、理想のSOHO環境を少しづつ実現していきましょう!
2004年11月07日
女性社員のキャリア研修のパネラー
投稿者 桜乃ゆめ
みなさん、桜乃ゆめです。
先日、異業種共同企画の人事研修「女性社員のためのキャリア開発セミナー」のパネラーとして呼んでいただきました。
このセミナーは、異業種共同企画セミナーとして話題になった、企業横断型の人事研修プログラムの一つです。
数社の幹事会社(保険、製造、金融、サービス業など上場企業)が中心となり研修プログラムの企画・運営をおこなっており、参加企業は、数十社前後におよび、2004年度は東京、大阪、名古屋で計4回開催されました。 入社5年目以上の中堅クラスの女性社員を対象としています。
企業の中で女性社員が増えているなか、女性の管理職が少ないというのが日本の現状です。
昨今、そのような状況を打破するべく、各社女性が活躍できる会社環境、キャリアの積み方等について人事部等が中心となり、すこしでも女性社員が気持ちよく仕事ができ、活躍できるのかを会社含めて前向きに考えていこうと、動き出しています。
桜乃の会社でも、育児休暇経験を持つ人が集められ、どのようにすれば女性社員が働きやすい環境がつくれるか、どのような意識で働いているのか、などヒアリングを受けました。
そのヒアリング内容については「?」マークがつくものが多かったのですが(というか、やっぱりおじさんたちの聞くことはピントがずれてる!) 私たちに続く後輩の女性社員が気持ちよく働ける環境が実現できるのであればそれは、すごい進歩だ!と、前向きに解釈いたしました(笑)。
さて、今回の「女性社員のためのキャリア開発セミナー」に参加している方は平均して入社10年前後の方が多く、ちょうど「このまま会社を続けるのか」、「結婚するのか」、「結婚しても仕事をするのか」、「結婚してるけど子供はどうするか」などいろいろと迷いが生まれる年齢にある方が多かったです。
私自身、30代前半ってたしかに、不安なことがいっぱいでした。
そのときは、自分の人生の先行き、仕事の先行きなどが漠然としていて決めかねることが多い、、という時期だったように思えます。
パネルディスカッションの前に、1日の研修内容を見せていただきましたが内容は、「キャリアプランニング」「キャリア実現のマイルストーンの立て方」「キャリアプラン達成のための手法」と今後の自分のキャリアについて「どのようにイメージし、どのようにそれを実現するか」について考える内容になっていました。
研修の最後に、「じゃあ実際の女性管理職ってどうなの?」ということで、各社女性管理職を招いてのパネルディスカッションが用意されているという内容です。
当日桜乃以外に参加されたパネラーの方は、大手クレジット会社のローンセンターの課長をされている女性と、大阪の老舗スポーツメーカーの人事部の女性でした。
ローンセンターの課長をされているYさんは、女性社員10名とパート43名を束ねる管理職をされていて、女性ばかりを部下に持つ苦労も披露されていましたが、それぞれの長所短所を見事に把握されていて適材適所に配置、うまくみなさんをまとめておられ「一歩はなれた視点でみんなを見ている」と一言。
なるほどなぁ。と思いました。
老舗スポーツメーカー人事部のNさんは、コース転換に自ら公募し自分でキャリアを切り開いた方でした。女性がコース転換した例はこれが初めてだったそうで、それが自分にとっての大きな転機だったとお話されていました。
受講者の方はみなさん、とても熱心で、食い入るように話を聞いてくださいました。
じつは、この研修に参加しているメンバーには桜乃の元部下、現部下がそれぞれ1名ずつおり、桜乃の素顔がばれているだけに、ちょっとやりにくい反面もありました(笑)。
受講者からの質問に答えていく形式ですすむパネルディスカッションでしたので、事前に答えを用意していない質問も多くちょっと焦ったりいたしましたが、あっという間の1時間30分でありました。
どんな質問があったかはみなさんにも参考になると思うので、一つずつ次回からお話ししたいと思います。
ということで、次回は、 「メンター(Mentor)がいますか?」 というお話です。
2004年10月25日
転職大好き【第4回】
投稿者 田村小梅
学生時代のバイトから含めると、2年位お世話になっていた代議士事務所。私の初めての仕事は、訳が全く分からないまま突然幕を降ろされてしまった。
突然のクビ宣告を平静を装って受け流し、ホテルの部屋へ戻ってずいぶん泣いたっけ。ショック、というより超意味不明。み~んな笑顔なのに、もしやこいつら全てグル!?国会事務所で昨日まで楽しく仕事をしてた奴らも、知ってて私をこんな田舎まで行かせた!?そう思ったら怖くて居ても立ってもいられなくなったのだ。人生初の「人間不信」に、その後しばらく悩まされたのは言うまでも無い。
何週間かは落ち込んでいて全く動きが取れなかったが、少し立ち直ってからは「事の真相」を見つけ出すべく、私は立ち上がった。どいつもこいつもホラ吹きに見える中、しつこく情報収集を重ねてぼんやりと見えた真相はと言うと・・・
何のことは無い。
「後援会のお偉いさんの娘が事務所で働きたがってる」から、「地元と何も関係の無い私が邪魔」という事だったらしい。前日まで喧嘩をしながらも楽しく働いていた(と私は思っていた)東京事務所の秘書2名は、「知らぬ存ぜぬ」の一点張り。全ては後援会をとりまとめる第一秘書が勝手に仕組んだこと、と。
真相はもう闇の中。でも数ヶ月後の私の結婚式には、議員からお祝いも届いたし、当時の仲間が司法試験に受かったと言っては集まり、秘書が選挙に受かったと言っては集まっている。組織ぐるみで陥れられた訳では無かった、と今は信じたい。
・・・そして時間を巻き戻してクビから2ヵ月後。かなり立ち直った私は、本格的に次の仕事を探し始めた。
大学生の頃も一度も企業研究なぞした事の無い私。知っている仕事は当然「秘書」しか無い。その時はまだ秘書が天職だと信じていた私は迷うことなく、「秘書」としていくつかの派遣会社へ登録した。「国会議員秘書経験者」という珍しい肩書きがどこへ行っても大好評で、幾つもの会社からお声がかかり「エリートOLっぽいから」という不純な動機で銀座で社長秘書として働き始めた。働き始めてから数週間で、全くの適性の無さに完全に干されるとも知らずに・・・。
2004年10月20日
円満な職場復帰の術(すべ)・その3
投稿者 桜乃ゆめ
みなさん、桜乃ゆめです。
いよいよ、会社に復帰する日が近づいてまりました。
ところが!
私のいた部署がなんと、なくなってしまったのです!!
産休に入る前から、どうもこの部署の未来はヤバイかも、、、なんてちょっと心配していのですが悪い予感は当たるもの。
普通ならここで途方に暮れる・・・というところなのでしょうが、持って生まれた強運な仕事運をここでも発揮することとなりました。
直属の部長、取締役が動いてくださり、桜乃の復帰場所をちゃんと探してくれていたのです。
とはいうものの、復帰するにあたり、不安はいっぱいありました。
自分のことをまったく知らない部署で、子供をかかえた女性をきちんと受けいれてもらえるかどうか。
自分のやりたい仕事ができるのかどうか。 そして、、本当にやっていけるのいかどうか。
ここからは自分が努力しなくては! と思いました。
復帰する場所が決まって、まずやったことは、自分の「職務経歴書」を作ることでした。
これまでの自分の経験、自分の得意分野、そして自分の価値についてをまとめあげました。
その職務経歴書をつけて、今度の部署の役員にメールをして、復帰前にアポをとりました。
アポの目的は、2つ。
1つは、桜乃の価値を伝えること。今度の部署で自分が出来ることをPRいたしました。
もう一つは、子供のお迎え等で、週に2日早く帰らせてほしい旨を、同じグループの他のメンバーにも事前にお話いただきたい、とお願いいたしました。 それ以外の日はベビーシッターをお願いし、残業できるように自分で準備をしていることも、きちんと伝えました。
自分で、ある程度は努力をしている姿をみせること。これって実はとても大事なことだと思います。
幸い、新しい部署の上司は、「成果がきちんと出れば、その過程は任せる」というタイプの方でしたのでその点は、私にとってもプラスに働きました。
復帰前に、事前にきちんと話しをしに行ったのは正解だったと思います。
正直、「私はこれだけ仕事をします。だから、このわがままを許してください」なんてことを言ったわけですからそのプレッシャーは相当なものでありました。 でもそれは当たり前だし、そういう気持ちがないと企業の中でワーキンマザーが気持ちよく仕事を続けていくのは難しいと思うのです。
ワーキングマザーとして企業の中で働くことは、その企業の中での自分の存在価値をきちんと意識してそれなりの働きをしなくてはいけないと思います。
子供をもって、会社に復帰する。仕事を続ける。大変なこともあります。予期せぬこともあります。
でも、仕事なんですから、乗りこなくちゃ!
会社にとっては、自分に子供がいることなんて関係ありません。
ここでギブアップしたら、企業には自分の代わりはいくらでも出てくる。だからこそ、自分の存在価値を自分自身が自問して、見出していかなくてはいけないと思うのです。
「仕事にもどりたい」「仕事を続けたい」と思っていても、これは相手(会社)も同じように、自分のことを「仕事をしてほしい」と思ってもらわなくてはいけません。
つまり、需要と供給が一致しないと、仕事に復帰する、しかも自分のやりたい仕事を手に入れるのは難しいと思います。
ものすごいスピードで動いているビジネスの世界。1年のブランクは相当なものだと覚悟したほうがいいでしょう。
まずは、自分の職務経歴書を作るところから始めて、自分が出きること、自分の売りは何かをきちんと把握しては、いかがでしょうか。
【今回のオススメ】 新版 MBAマネジメント・ブック
グロービス・マネジメント・インスティテュート
ビジネス書の入門書。人・物・金・情報のマネジメントの基礎がコンパクトにまとめられています。
円満な職場復帰の術(すべ)・その1 を読む!
円満な職場復帰の術(すべ)・その2 を読む!
2004年10月12日
円満な職場復帰の術(すべ)・その2
投稿者 桜乃ゆめ
お仕事グッズ1・WiLLのカバーノート
みなさん、桜乃ゆめです。
今回は、会社に復帰するための算段についてお話したいと思います。
私の会社は上場企業であり、産前産後休暇、育児休暇制度もととのっていました。また、ラッキーなことに、私の1年前に産休・育児休暇を取得し復帰した先輩もいたので、仕事復帰の意思を伝えやすい雰囲気ではありました。
桜乃 :「妊娠しましたので、ギリギリまで働いて育児休暇をとって、復帰したいと思います。
上司 :「赤ちゃん?そりゃおめでとう。働くのか。そうかぁ。ご主人は賛成してるのか?」
桜乃 :「もちろんです。会社には迷惑をかけますが、辞めるつもりはありません」
上司 :「働いてくれるのは会社にとっては歓迎だからね。無理をしないように」
桜乃 :「よろしくお願いします。」
上司 :「そうか、続けるのかぁ。1歳から保育園かぁ。そうかぁ。。。。」
桜乃 :「・・・・」
出産で仕事を休み、復帰したいという私の望みについて、上司は了承をくれました。でも、最後の言葉の裏には、「仕事も大事だけど、子育てはもっと大事だし、子供を保育園にいれてまで働くなんて、、」という言葉が読み取れたのでした。
そのときの上司は、女性が働くことにとても理解をしてくれる人で、何かあったら助けてくれるタイプの方でした。
妊娠の報告をしたとき、上司が最後にいった言葉は、世の中の男性の大半の意見なのではないかなぁと、思いました。
まぁ、正直それぐらい思われて当たり前でしょう。
私が男で、自分の部下が妊娠・出産で1年抜けることを考えるとやはり会社としてはマイナス、と思うからです。
働きながらの妊娠・出産は法律で保障されていますが、だからといってそれに甘えていてはいけないと思いました。 甘えないってどういうことだと思いますか。
それは、「自分は妊娠しているから」あるいは、「法律で許可されているから」といって、一緒に仕事をしている回りの人への気配りを忘れてしまわないことだと思います。
妊娠が発覚してから、しばらくの間特別フレックスを認めてもらいましたが、出来る限り、人よりも早く会社に来て、残業をしなくていいようにきちんと定時に会社を出るように工夫をしました。 ここで遅くきたり、早く帰ったりするのは自分自身が納得できなかったのです。 定期検査もなるべく半日休暇でしのぎ、母親学級とはかけもちで走るという日々もありました。 うーん。、それが本当に正しいことだったのか、回り人がどう思っていたかはよくわかりません。
それはそれでいいと思うのです。妊娠したことで、あきらかにビジネスマンとしては、マイナスであることを感じていたので、自分のために、そういう行動を取ったのだから。つわりも少なく、大きなトラブルもなかったので、「おなかの子に助けられた」期間でしたね。
正直、初めての妊娠で、不安もいっぱい。復帰できるかも不安がいっぱい。
だから、自分が思いつく、自分でできる最低のことはやっておこう、、と思っていたのかもしれませんね。
こうして、会社のみなさんに「戻っておいでね」とあたたかいお言葉をいただき、長ーいお休みに突入することになったのでした。。
1年後に、自分の部署がなくなることも知らずに。。。
【今回のオススメ】
お仕事グッズ1・WiLLのカバーノート
必ず打ち合わせに持参するのがコレ。A5サイズのノートが2冊入ります。
円満な職場復帰の術(すべ)・その1 を読む!
2004年10月10日
転職大好き【第3回】
投稿者 田村小梅
代議士事務所が楽しかったお陰で、3年越しの大学院進学の
夢が破れてもそこまでやけっぱちにならずに済み、
「そうよ、私の天職は秘書よ!!これから精一杯頑張って、
議員にお仕えするわ♪」と身も心も入れ替えた頃、
忘れもしない、都議会議員の選挙が。
ひとたび選挙が起きると、全事務所の秘書は自分の属する
党のために身を粉にして働いて、電話かけやポスティング、
街頭演説のビラ配りにウグイス嬢、その他雑務を何でもこなす。
選挙は周りはお祭り騒ぎだし、こういう時位しか他の事務所との交流も無いので
これまた結構楽しい。私はすっかり張り切って、土日も選挙応援に駆けつけていたのでした。
で、選挙が終わり、応援していた候補者も無事に受かった翌日。
地元(議員の出身地)事務所に居る、直接会った事はほとんど無い、第一秘書から「おう!
ずいぶん頑張ったそうじゃないか。よしよし。そういえばまだ、地元に来たこと無いよな。
次の週末、一番良いホテル取っておくから遊びに来い。
地元もゆっくり案内してやるから」とお褒めの電話がかかってきた。
第一秘書っつーのは、場合によっちゃ議員本人より力がある位の存在。
そんな方に直々にお褒めの言葉を頂いた私はすっかり有頂天に。
で、行きました。次の週末に、新幹線を乗り継いで。
地元には6,7人の秘書が居て、毎日電話でやりとりはしているもののお会いした事は一度も無く、
「はじめまして、毎日お電話してる小梅です!!今後ともよろしくお願いします♪」と、
若者らしくハツラツと挨拶をして回っていたところ、突然第一秘書が「小梅ちゃん、
本当に良い子でよく働いてくれてるんだよ。でも残念ながら、彼女今日までなんだよ」
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え、えーーーーーーーーっ!?今日までって、一体何が???
もしかして、あ、あたしの事っ!?
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まさに頭が真っ白になったけど、おばさん達が「あらぁ~。今日までなのーーーー。
残念だわー。今まで本当にご苦労さんだったねぇ」と方言交えて言ってくるので、私も
「は、はい。。じ、実は今日までででで・・・。おおおお、お世話になりました」と。
その時、ショックでおしっこを漏らさなかった私を、心底褒めてあげたいと今でも思います。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その瞬間から、私の果て無き流浪が始まった。。。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
つづく・・・
転職大好き【第2回】
投稿者 田村小梅
私はおじいちゃんが政治家だった事もあり、小学生の頃に
「朝まで生テレビ」を文字通り朝まで見させられて意見を
述べさせられたりという、ちょっとおかしな環境で育っていた。
お陰で子供の頃から「新聞はまず政治面から」という
異常な政治好き。
今でこそ、田中真紀子さんのお陰で「政治面白いよね」と言うと
かなり多くの人が好ましい反応をしてくれるけど、
中学生の頃とか誰一人同意してくれない(当たり前か)。
子供の私から見る政治は「大人の権力闘争の最高峰」で、
政党とか派閥とか、知れば知るほどその駆け引きや裏切りの
強烈さに、どっぷりとはまっていたのでした。。。
だから、議員会館で働き始めたらもう楽しくて楽しくて。
議員会館の事務所は小さくて、奥に議員用の部屋があり、
手前の秘書部屋はせいぜい3~4人が限界。
でもそこにいる人々は、私以上に政治オタクの集まりではありませんか!!
今まで誰とも出来なかった政治の話が思う存分できる!
みんな私の何十倍も、マニアックな知識を持っている!!(プロだから当たり前)
その上、今まで朝一番にチェックしていた最新政治情報を、何日も前に入手できてしまう♪
最初は日程管理や毎日大量に届く郵便物の仕分け、毎日あちこちへお出かけする
議員のためのチケット取り程度の仕事しかできなかったけど
(議員会館内には、全国を飛び回る議員&秘書のために旅行会社がある!)
段々と慣れてきたり、会期が終了して暇が出来ると、興味のある委員会に
代理出席させてもらえるようになったりして。
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こんなに楽しい仕事があって良いのだろうか。
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だから、大学院受験を諦めて「じゃあ真剣に働くか」と思った時には、
迷い無くこのままここで続けよう、と思ったのだった。
だって、異常な政治好きの私には、まさに天職だと思えたから。
つづく・・・
転職大好き【第1回】
投稿者 田村小梅
「こんな人生になるなら、ちゃんと大学の時に
就職活動をしておけば良かったなぁ」と、常々思う。
今でこそやっと、「大好きな書く仕事」にありついているけれど、
25歳までプータローのような生活をしていた私が、
やりたい仕事にありつくまでは、まさに「悲惨」の一言。
まずはツラツラと、私の転職記を綴らせて頂きます。
夢多き大学生の頃、私には大いなる野望があり、自分の専攻する学科とは
全く異なる科の大学院への進学を希望していた。
その科はもんのすご~い人気学科で、大学院志望者の数に比して
圧倒的に大学院のイスが不足。
大学名を問わずどこでも良い!!と思っても、どこもかしこも20倍近い
競争率という人気っぷり。大学3年位からコツコツ勉強を始めて3回も受験したけど、
4年間みっちり専門で学んできた人々にかなうはずもなく、あえなく惨敗。
そこで初めて「はて。今まで夢見ていた職業ではなく、
現実的な働き口を見つけなくては」と自分の人生設計を考え始めた。
その時すでに、25歳の数ヶ月前。
当時私は、学生時代の延長で代議士事務所で働いていた。
大学4年の時に友達に選挙のウグイス嬢を紹介されて、新潟県で
2週間も選挙カーに乗っていたのだけど(卒論提出直前だったので、
大学には大病と嘘をつき・・・)そこで知り合った秘書に、
「うちの事務所のおばちゃんが辞めちゃうから、バイトしない?」とお声がけ頂いたのだ。
場所は国会議事堂の目の前の議員会館!
子供の頃から大の政治好きの私にとって、こんなに素敵な話は無い!!
秘密のベールに包まれた暗黒の世界に足を踏み入れるような
ワクワク感を抑えきれず、もちろん快諾。
それが大学4年の12月の事だった。
つづく・・・
2004年10月07日
汽車と電車と広告と。
投稿者 有栖川ゆうこ
出かける前に「今日、電車で行こうと思って。」
と、言うと「電車でぇ???」と義両親にはよく驚かれる(笑)
なぜかというと、
JR=汽車
その他=電車
なんだよね(^_^;)
我が家の最寄り駅は、JRの某駅。
徒歩5分ぐらいのところにあるので、
本数は少ないなりに、結構便利ではあるのよね。
対してその他の電鉄会社の最寄り駅は、というと、
車でも5分とか余裕でかかる距離に。
つまり、私はJR最寄り駅から乗るつもりで「電車で」って
言っているのだけど、両親にすれば「なんでそんな遠い
路線使って!?」となるわけです。(笑)
両親世代(昭和10年代生まれ)で地方在住だと、
かなりの割合でこういう認識(JR=汽車、と呼ぶ)なのかもしれないなぁ。
だって、地下鉄も私鉄も、何本も走ってて、
という車社会じゃない土地の方が、
日本の中では少ない方なんだもんね。
#でも、3大都市で人口的には5割占めてるとか…!
その、電車網が発達した大阪で生まれ育った私が、
こっちに越して何がさみしいって
「電車内の釣り広告や駅貼りの巨大広告が見られないこと」
なんですよねぇ~
東京ほど大規模じゃないけど、大阪も結構交通広告関係は
がんばっている感じで、おでかけの時の楽しみの一つ、でも
あったのだけど、こっちに来ると、電車利用人口が少ないから
当然、広告価値もさほど高くなく。
よって駅ばりの広告とか、電車内の広告も、
自社広告ばっかりで
ほんと~~~~~に、おもしろくありません。
だからたまに出張なんかに行くと、
移動時間も広告見るだけでかなり楽しめる、というおまけが!?
でもね。
京都育ち、東京在住歴10年近くになる友達いわく「情報って、いっぱいあるのが当たりマエの所に小さい時から住んでたら、な~んも目に入らなくなるよ」と。
そうだなぁ、確かに。
大事なのは、何を感じ取るのか?心の中のフィルタなんだよね。
2004年09月30日
円満な職場復帰の術(すべ)・その1
投稿者 桜乃ゆめ

はじめまして。桜乃ゆめです。
私は現在、通販の会社で、プロモーション・広告・WEBを企画・推進するグループリーダーをしています。部下は4人。その上に、部長、常務といういわゆる中間管理職のポジションにいます。 社会人になって早18年。気がつけば、会社の中枢を担うポジションで仕事をしていました。
つたない経験ではありますが、桜乃が考えるビジネススタイル、やりたい仕事をつかむコツ、部下や上司とのコミュニケーションなど。 そして、母として働くことで悩んでいること、などなど正直に書いてみたいと思います。
仕事の内容は違っていても、きっとみんな同じ悩みがあったり、少しは桜乃の経験がお役に立つこともあるかもしれません。
桜乃流サラリーマンとして働くワーキングマザーのビジネススタイルをお届けしていきたいです。
第一回は、桜乃の仕事復帰への道をお届けいたします。
【円満な職場復帰の術(すべ)・その1】
仕事をしていて女性がぶつかる壁は大きく二つあると思います。一つは「結婚」もう一つは「出産」という壁です。
実際にこの二つを体験して思うことは、「結婚」は大きな障害にはならず、仕事を円滑にすすめる糧になるということ。
「出産」こそが、働く女性の一番ハードルの高い壁ではないかと感じました。
(人によっては、結婚も大きなハードルというケースもありますが、、、)
出産して復帰するには、ダーリンや両親の理解や協力、会社の理解や受け入れ体制、何より自分の仕事に対する熱ーい想い。
いろんな要素が必要だと思います。
まぁ、私の場合どうだったかというと、「仕事したいのよーー私!」という強い気持ちと、
それを自分なりにきちんとPRして乗り切ったというのが真相であります。
妊娠がわかったとき、躊躇なく「産休・育児休暇をとって、仕事は続ける」と思いました。
なぜそう思ったのか、正直なところ自分でもよくわからないのです。というか、仕事をしていない自分が想像できなかった、、というのが正解かな。 とにかく、「仕事辞めないぞ」オーラが私の中にあったみたいで、暗黙のうちに、ダーリンも「こいつから仕事を取ったら死んでしまう。」と思っていたそうです。
<ある日の桜乃家の会話>
桜乃 :「あのさ、ぎりぎりまで働くから、実家(大阪)には戻らないで東京で生むから!」
ダーリン:「・・・・」
桜乃 :「あとさ、区の保育園入れるかなぁ。待機児童になったら困るよねぇ。」
ダーリン:「・・・・」
桜乃 :「あ、ベビーシッターとかも調べなくちゃねぇ。」
ダーリン:「・・・・」
桜乃 :「(ちょっとまずいと思い、あわてて)あのさ、私働いていいよねぇ?」
ダーリン:「もう働くって決めてるだろ。」
桜乃 :「う、、うん」
ダーリン:「お前が働いていないのは想像できないしな・・・まぁ、いいんじゃないの」
桜乃 :「うん!」
こーんな感じで、ダーリンの承諾を無理矢理?とり、桜乃の仕事復帰への道はスタート。
その後、実家の母、ダーリンのご両親にもさりげなーく「東京は共働きでないと・・・」とPR。
「ゆめさんは仕事を続けるのね」と理解を得ることが出来ました。
実家の母は、「あんた、私を頼りにしても駄目やよ」と私の魂胆をすっかり見透かしておりましたが
結局、孫かわいさに、今では最強の助っ人になってくれていたりします(笑)
家庭を固めたら、次は会社に復帰するための算段です。
会社に自分をどうPRするか、、、このお話は次回で。
つづく。。。
【今回のオススメ】 はじめての保育園―働くママ&パパのための
保育園を考える親の会 編集
仕事復帰を考えてたとき、一番に購入した本がコレ。この本で、保育園と幼稚園の違いを知りました。 ちなみに、この本は娘の幼児教室でご一緒した、某有名女優にプレゼントした本でもあります。
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